話が更に変な方向に流れていて面白いぞ。
世田谷中央図書館まで行って確認してきました。
前回までのあらすじ §
花見堂という地名の語源は花見戸であり、花見をするお堂があったわけではなさそうだぞ。
花見堂と花見戸は違う §
きむらたかし@三田用水さんから更に話がひっくり返るようなご教示が。
- 世田谷旧村古地名集(昭和59年3月10日、世田谷区教育委員会)によると、元禄14年5月に上北沢村に花見戸の記載がある(p40)
- 同書の元禄10年12月の代田村に花見堂の記載がある(p117)
つまり、花見堂と花見戸は場所が決定的に違い、別の地名(字名)と思われます。
しかし、更なる衝撃が。
花見戸の上に高井戸 §
花見戸の上に高井戸の地名が書いてあるではありませんか。
凡例(p1)によると「村境の入会、錯綜などによっては、該当村外の地名が含まれている場合もあるが、それも採用した」とのことなので、高井戸も世田谷であるという主張では必ずしもありませんが。
上北沢村の一部が高井戸を含む地名で呼称されていた可能性が示唆されます。
とすると、上北沢と高井戸の境界は曖昧なものになり、両者が密接な一体の存在であった可能性も出てきます。上下高井戸が宿場に指定され、特権的な存在になる前です。
花見戸はどこだ? §
おそらく、上北沢村内の北沢川沿いのどこかという気がします。かなり古い時期に失われている地名らしいので、江戸時代のまで遡っても後期では既に失われて久しい可能性もあります。
しかし、桜上水に位置があるなら、花見と桜が結びつくわけで皮肉な成り行きと言えます。