「きむらたかしさんから見せて頂いた地図をみながら、はたと気づいた」
「それはなんだい?」
「明大和泉校舎の下の方も無駄に低地が広い。ここが永福寺池だとすると、永福寺に隣接していて名前がすっきり解釈できる」
「下高井戸じゃないの?」
「善福寺池のように、ヒョウタン型で上の池と下の池があるのかも知れない」
「ヒョウタン型か」
「おおざっぱに画くとこんな感じ」
「それで?」
「実は、目から鱗が1つ落ちた」
「それはなんだい?」
「永福通りと神田川の交点付近にあった養魚場はこの範囲にすっぽり含まれる」
「えっ? でも、古い地図を見ると元は農地だよ」
「どうも、このあたりは池といっても常時池では無かった気がする」
「というと?」
「水が多いときは池になるが、少ないとただのぬかるみ……かもしれない」
「池と水田の差は紙一重ってことだね」
「そこで、おそらく水はけを良くしてできるだけ農地っぽく整備したのがおそらく江戸時代。あるいはもっと以前。しかし、もともと水が多いと池になりかねない場所だ。少し掘るだけで常時水をたたえた養魚場にできたのだろう」
「そうか。少し手を加えるだけでできるのはいいね」
「しかし、わざわざ名前が出てくる以上、水が減ったときもそれなりに小さな池の体裁は残ったのだろう」
「でも、農地化されてしまったのだね」
「本流に平行する支流を整備して、水をそっちに集約したのだろう」
「それで、その小さな池はどのへんにあったと思うわけ?」
「そう。そこだ。ただの想像だが、永福寺池という以上、きっと永福寺の近くだろう」
「そうか」
「ついでに、池の存在を想定すると硝煙蔵は池のほとりの高所にあったことになる。池は何かあったときの消火にも使えるし、軍事的な防衛にも有効だろう。神田川本流の流れだけでは水量はたかが知れている」