「アキバレンジャーが終わったので、簡単に触れておくことに価値があるだろう」
「君ってそんなに戦隊が好きだっけ?」
「見ていない期間の方が長い出戻り戦隊ファンだな」
「ひ~」
「では始める」
前提 §
- アキバレンジャーとは基本的に妄想の産物である (変身のかけ声は重妄想)
- 敵はステマ乙。敵の幹部はマルシーナ。怪人は係長。戦闘員はシャチークである
- 非公認戦隊であるが、公認されることを目指している
問題提起 §
「ここに問題があるというの?」
「そうだ。実はこの構造には致命的な矛盾がある」
「それはなんだい?」
「ステマとはステルスマーケティング。ネットでは悪いことだと言われている。マルシーナはマルシーつまり著作権を示す。著作権を振りかざすことはネットでは悪いことだと言われている。シャチークは社畜だ」
「それで?」
「ここで著作権が悪として提示されているのだ」
「うん」
「ところが、公認戦隊がビジネスとして成立している根拠は著作権にある」
「えっ?」
「勝手にゴレンジャーモドキの玩具を造って売ってはいけない根拠がそこにある」
「うん。そうだね」
「でも、著作権はこの作品世界では敵であり、悪の属性なのだ」
「えー。矛盾してるじゃないか」
「そうだ。矛盾している」
解決 §
「この問題を解決するには、マルシーナが味方にならなくてはならない」
「そうだね」
「実際、マルシーナは味方になった。これがアキバレンジャー流の解決策だ」
「えっ?」
「敵は八手三郎であって、ステマ乙もアキバレンジャーも彼に踊らされる存在として同じ立場になった。その結果、矛盾は解決され、痛さは強さという考え方も勘違いであることが明示されて終わった。オタク的な秩序は間違いであることが示されたわけだ」
「でも、オタクへの愛情もあるわけだろ?」
「そうだ。間違いであることを示していても、オタクを否定するわけではない。試練を乗り越えて1段階大きくなって戻って来い、という態度がそこにあって、そこでは大人が戦隊コスプレすることを間違いと否定する思想は無い」
「大人が戦隊見てもいいし、戦隊コスプレしてもいいし、戦隊を語ってもいいわけだね」
「そうだ」
「でも、著作権を悪とする思想は否定されたわけだね」
「そうだ。むしろ著作権はファンをも守っているといえる」
「どうして?」
「著作権があって、東映に権利があれば、TV局が突然『ゴーバスターズは来週から別の会社に造らせるからね。君たちはクビ』とは言えなくなる」
「著作権に意味が無いとしたら?」
「その場合は誰がゴーバスターズを造ってもいい。うちの会社がもっと安く造りますと言えば、TV局はホイホイと乗り換えられるが、それによって造られるゴーバスターズがファンが待っていたゴーバスターズと同じになるかは神のみぞ知る」
「ひ~」
「だから、ファンも作り手も本当なら著作権に対して同じサイドに立っていて、その権利を否定はできないはずなのだ」
「アキバレンジャーもマルシーナも八手三郎も本来は同じ側の人間だってことだね」
「でも実際はマルシーナを敵だと誤認して戦ってしまう。それが今の現実というものだろう」
よい子は見ちゃダメの本当の意味 §
「アキバレンジャーはメタドラマなのだ」
「メタドラマとは?」
「登場人物がその世界の外側の世界の存在を知ってしまう」
「それがメタか」
「メタというのは抽象階層を1段階上がることを意味するのだが、実は抽象段階を上がれば上がるほど脱落者が出る。難しいのだ」
「どういう意味?」
「1+2を計算できる人が、x+yになると突然計算できなくなるとか。そんな事例がいっぱい」
「それで?」
「だからさ。アキバレンジャーには一種のハードルがあるのだよ」
「そのハードルを越えられない人は見ても意味が無いってことだね」
「だから、よい子は見ちゃダメというのは、良さも悪さも相対的に見られる大人の価値観を持った者が見ないと意味が無いということなのだ。それが作り手の本意かは知らないけどね」
「知らないのかよ」
八手三郎の正体 §
「それで八手三郎の正体って誰なのさ」
「よい子はググっちゃダメ」
「えー」
「まあ、暗黙的に八手三郎の正体について知っていることが、このドラマを見るための前提条件になっているのだろうな」
「そんなあ」
「でも、八手三郎も、矢立肇も、アラン・スミシーも正体は分からないのが本質だからな」
「みんな謎の人物なのかよ」
「そうそう。凄く謎」
「どうして?」
「ある瞬間の正体は確定できるが、次の瞬間も正体が同じだという保証が無い」
「その不確かな人間は何者だよ」
まとめ §
「それでアキバレンジャーは面白かったの?」
「面白かったぞ」
「特に面白かったのは?」
「テロップを手で掴んで止めたところかな」
「なんてメタなドラマなんだ」