てさんから突っ込まれているので説明します。
あの場所を京王旧線の分岐点と考えた理由は以下の3つです。
- 半端な土地が鉄道用地として残されている
- 他のサイトでもここを分岐点として扱っている (ツアーなども行われていて、非常に多人数から承認されている位置と思われる)
- 今昔マップ2による自分の検証
最後の1つは以下で説明します。
明治13年 §
大正6年 §
昭和7年 §
平成13年 §
説明 §
明治13年の時点から存在している道路が基準になり、この道路と京王線の交点付近を境に京王線の経路が変化していることが見て取れます。大正6年の京王線は旧経路ですが、昭和7年以降は現経路です。
感想 §
煩雑になるし、時間も手間も掛かるので、実際には書いていない検証根拠もありますが、たまにそれをあとから補強してみた感じです。特に今回は、京王線が地下に行ってしまうと景観が変わってしまう可能性があって、急いで行ってきたような感じですが、机上検証でそこそこの確信は持った状態で行っています。何せ、自転車で仙川の先まで行くのは初めてだったので。
もっと、つつじヶ丘から柴崎付近は何回も通ってよく見知った光景だったのはあまり未知領域という気がしませんが。(でも、国領布田付近になるとかなり未知の世界)