Subject: 上北沢のトロッコは水道用か?
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20120825164444
本文:
金子(つつじヶ丘)の京王線の線路付け替え後は、社内でも「あった」事は知っている人もおおかったのですが、「どこからどこまで」になると、全然知られていませんでした。
自分は廃線趣味が濃厚なので、かなり前に探訪しておりましたが(30年位前)、その頃は明らかに撤去跡と思しき空地や境界杭、記念碑(移転説明碑)などが残っておりました。
柴崎と国領の駅跡が比較的明瞭にあったのには愕いた記憶があります。
(もちろん、鉄道施設はなにもありませんでしたが)
やはり、京王社内では会社が違うために(京王電気軌道時代の変遷になるので)京王帝都では話題にならなかったようです。
面白いことに、電気鉄道時代の予定線の話はそのまま引き継がれてのこっており(多分バス路線の関係かとおもわれますが)府中→国分寺や府中→立川、御陵線関係のことを知っていた老年の方は居られました。
逆に、笹塚→新宿→四谷新宿の地上線・路面区間や、天神橋の貨物駅・笹塚車庫・京王多摩川の砂利関係・中河原の貨物駅・下高井戸の引込み線などは知っている人は極まれでした。
(私が入社したころはまだデトが健在でしたので、砂利関係の貨車の話は少しは残っておりましたが、デトの終焉と共に、この類の話は忘却の彼方に消え去ってしまったようです。)
京王沿線は都市化が著しいので、廃線趣味には結構きつい路線ですね。
逆に南武沿線や小田急沿線・西武沿線の方は比較的残存しているのがうらやましい限りです。
以前ブログのなかでのご指摘のあった、下高井戸の引込み線ですが、現地調査と停車場設置図面の数値から、引込み線の長さを割り出してみたところ、約15メートルほどでした。これでは京王電気の所有車両でも電動貨車と付随貨車1両づつ位にしかなりません。ましてや有効長だとぎりぎりかと思われます。
下高井戸西方の渡り線を勘案しても、この引き込み線は西からの貨物・荷物専用ではなく、東からの貨物・荷物にも対応している様に思えます。京王電気には単車の有蓋貨車が2両・ボギーの連結器のない有蓋貨車が2両存在してますので、下高井戸駅移転と市場のインフラとして整備されたものと解釈しております。
引込み線の位置については、既知の場所以外は考えられないとも感じました(在来の踏み切り西側では用地がない
・下り線側はくぼ地、玉電が後に下高井戸の町に這い上がってくる谷とかの埋め立ての問題
・そもそも市場から遠くなる・東側に渡り線が欲しいところですがカーブと勾配が関係する
・下高井戸の駅前市場の移転前(?)の位置(火薬庫前西側の坂の途中)等
注・まちがっているかもですが。丁度下高井戸の駅移転とボギーの貨物電車登場が時代的に近いのが考察のきっかけです)
また長々とお手紙してしまいました。
お時間をとらせてしまいまして、大変失礼致しました。
そうすると、まぜ未だに下高井戸商店街は集客力のある強い商店街かという遠因が見えてきますね。鉄道インフラを確保しているから、確保していない地域に優越できたのかも知れません。