「自転車で行ける距離で『宮崎駿』の名を冠する企画展があるのだから、行くだけ行くかと思って行ってきたよ」
「会期が終わる直後じゃないか。なぜ遅くなったのだい?」
「自転車で行くのに暑くちゃかなわん。9月まで待ったのだ」
「ひぇ~」
感想 §
「要約すると言いたいことは3つ」
- この場でいちばん偉いのは宮崎駿ではなく石井桃子である
- 初めて宮崎駿の肉声を聞いた気がする
- 宮崎駿がドリトル先生を語った
「説明してくれよ」
「入ってすぐ見えるのは、輝かしい宮崎駿の功績では無く石井桃子。誰が主役か良く分かる」
「誰?」
「岩波少年文庫を立ち上げた人」
「じゃあ、肉声というのは?」
「いちいち、宮崎駿直筆のコメントのメモが展示してあった。言葉も文字も内容も何もかもプライベートだ」
「宮崎駿の言葉を出版した本はいくらでもあるじゃないか」
「でもさ。たいていよそ行きの言葉でしかも誰かの手を経ている。書いた言葉が直接出てくるわけでも無い」
「じゃあ、ドリトル先生を語ったら何だって言うんだよ」
「子供の頃好きだったんだ、ドリトル先生」
「それだけかよ」
「でも、それで何かこうプライベートに地続きという感じがした。まあ他にロビンソン・クルーソーも海底2万里も語ってるけどな」
「それに意味があるの?」
「宮崎駿が選んだ50冊の過半数は読んだことが無いものだが、岩波少年文庫かどうか分からないが読んだものもある」
「そうか。そこは接点なのだね」
「でもさ。普通はそういうことは語らない。宮崎駿とはいろいろな意味で複数の人たちの顔として露出するわけで、実はそこで言動が縛られる。模型雑誌では比較的本音が出やすかったのも、そこでしがらみから開放されるからだろう」
「へー」
「でも模型雑誌連載の紅の豚が映画になったり、雑想ノートがラジオドラマになったり、しがらみが増えていって制約された感じだ」
「なるほど」
「でも、直接小説形式の児童文学とは関わっていないので、ここに出てくる宮崎駿は肉声だ。プライベート領域だ」
「そんなに?」
「いろいろアレがいいとかこれがいいと誉めるのも本音だろうし、ロビンソン・クルーソーの問題点に苦言を呈するところも本音だろう」
「ロビンソン・クルーソーのどこに問題が?」
「彼自身が銃を持った白人の征服者ってことだ」
「ひ~」
余談 §
「ついでに常設展も見てきたのだが、そこでハッと驚いた」
「なに?」
「パネルの1枚に、明治時代の三軒茶屋付近の砲兵聯隊の絵があったのだ」
「旅団線の電柱がある方だね」
「この絵の中央に見える『何か』が植え込みなのか水路なのか分からなかった。本絵がカラーなら区別できそうだと思って学芸員の方まで呼んで質問したが、もともとモノクロだろうということで良く分からなかった」
「残念だね」