「もうすぐ出ます。たのしいC#プログラミング。合い言葉は『たのC#』。よろしくね!」
「ちょっと待て。『たのC#』ってダジャレかよ。君の趣味に付き合わせる気かよ」
「ちちち。考えたのは出版社側の人で、自分では無い。自分はいたって真面目なC#の入門書を書いているだけだ」
「C#の入門書? どこがどう入門書なんだい?」
「この本はね。それぞれの章が以下のような構成になっている」
- こういうプログラムは書けるだろうか、という問題提起
- それを書くために必要な技術解説 (練習問題を含む)
- 書けました! というソースコード (コメントが付いているぐらいで、くどい説明は無い)
「最後に載っているソースコードに説明はナシ?」
「そうそう」
「それって不親切じゃないの?」
「そうじゃない。それを読むために必要な知識はそれ以前に説明済みだ」
「分かった。ソースを読んで分かればその章はクリアなんだね?」
「もし分からないなら、どこかで頭に入っていない知識があるから戻って読み直すといいと思うよ」
「なるほど。でも、日本語で説明しないのは不親切じゃないの?」
「こういう本の目標は、ソースを読み書きできること。書く方は練習問題でカバーするとして、読む方は実際に読むことで達成度を理解した方が理にかなっていると思うよ」
「つまり、それが論よりソースってことだね」
「そうそう、いくら日本語で議論して勝ったって、そんな勝利に意味は無いのだ」
「なぜ?」
「日本語の文章はコンピュータで実行できないからだ。だからいくら嘘をついても、上手く誤魔化せる」
「実行できたら予想通りの結果にならないことで嘘がばれるわけだね」