「3等に乗っていた二郎が途中から2等に乗っているとか。ヒロインは最初から2等だとか。ちゃんと3等は赤帯で2等は青帯だとか。最初はデッキのある客車だが終盤はデッキのない客車だとか。碓氷峠で10000がちゃんと描いてあるとか。でも説明は一切無いとか。怠惰な豚でいる罪も犯していないのに特殊な警察に追われるとか、そんな話は無粋だろうから全部省く」
「それで何が言いたいわけだい?」
「そうだな。カプロニおじさんの夢と二郎の夢はつながっていた。ならば自分の夢は誰の夢に繋がっていたのか。たぶん、宮崎駿というおじさんとだ」
「知り合いなの?」
「いや、ぜんぜん」
「なぜ繋がっていると言えるの?」
「そうだな。たとえば、零戦の本を見て普通な21型派と52型派に分かれる。ひねくれ者が32型を支持し、通が22型を支持する。九六艦戦はあまり支持されない。零戦への過渡期だからだ。しかし、自分は1枚だけ載っていた写真に注目した。逆ガル翼の試作機だ。九試単戦はいきなり世界水準に達した画期的な機体だという説明もいい。なぜいきなり世界水準に行けたのか。それは注目に値する話になるであろう、と思ったので、いずれ追求しようと思っていた」
「逆ガルの九試単戦はこの映画の事実上の主役メカだね」
「しかし、そういうものに注目する人はまずいない。実際に全く見たことが無い」
「それだけ零戦神話は強烈ということだね」
「でもね。1人だけ見つけた」
「誰?」
「宮崎駿だよ。ただし、この場合、宮崎駿と言う名前にはさほどの意味は無い。他にもいた、という点にこそポイントがある」
「自分は1人では無いってことだね」
「そうだ。そもそも、九試に注目した理由には宮崎駿もアニメも何も関係無いからね。航空関係の本から勝手に注目しただけだ。まさかアニメで見ることになるとは全く思ってすらいなかったよ」
「だから夢がつながっているわけだね」
「他にも山ほど類似の事例があるよ」
「どのへん?」
「恐竜よりも古い古代生物への注目とか。ポニョでデボン紀の魚が出てきたのは凄いことだよ」
「2つぐらいでは」
「事例は他にもいっぱいあるんだよ。たとえばね。こちらは郷土史屋をやってるわけだが、風立ちぬの特番で宮崎さんがレポーターに見せびらかしたのは東京市の観光案内みたいな古い本で、これが昔の新宿……とか言ってるわけだ。これはもう完全に自分が見ている史料と重なる領域だ。実際に、映画で描かれた昔の東京は生々しくも壮絶だぞ」
「分かった。じゃあ結論はなんだい?」
「うん、だからね。二郎にとってのカプロニおじさんに相当するのは、自分にとって宮崎おじさん。でも宮崎おじさんはカプロニおじさんほど優しくはない。アドバイスもしてくれないし、声もかけてくれない。その代わり、自分が世界の全ての背を向けて自分で選んでいった道の先に、先回りしていつも待っていて、『どうだ。面白いだろう』という。面白いと思って追求してきた自分は『はい面白いです』と答えるしかない」
「まさか」
「先回りしてくるのはかなり前から分かっていたが、ここに来てまた先回りされるとは思わなかったよ」
「先回りを回避しようと努力はしないの?」
「先回りがいいとか悪いとかではなく、全く無関係なことに興味を持った筈なのに先回りされるのは回避しようと思って回避できることじゃないよ」
改めて §
「でもさ。それって映画の感想じゃなくて自分語りになっているよ。映画そのものの感想も一言だけくれよ」
「良かったよ」
「抽象的すぎる。もっと具体的に」
「じゃあ、牛」
「は? 飛行機の映画だろう?」
「でも、牛」
「意味が分からないよ」
「完成した飛行機は飛行場まで牛で引いたんだよ。有名な話だ。しかし、けっこう丁寧に牛も描いてくれた。あれが日本のリアルだ」
「牛は禁止で」
「えー。じゃあ、暗い日本」
「日本が暗いといいわけ?」
「暗い部分があるのが日本のリアルだ」
「外国に劣っている部分?」
「外国の暗さもちゃんと描いてあるよ。ケチなドイツとか」
「なら日本はダメじゃないの?」
「ダメだよ。日本も外国も」
「何がいいのか分からないから、その話も禁止」
「えー。じゃあ、九六陸攻」
「そんな飛行機出てきたっけ」
「名前は出てこないが、九六陸攻は確かに出てきた」
「どこがいいんだよ」
「垂直尾翼が2つあるし、すぐ火を噴くし」
「良く分からないからそれも禁止で」
「えー。じゃあ、矛盾」
「矛盾?」
「この映画は本質的に全部矛盾してるの」
「は?」
「死にそうな女を嫁にするし、愛し合っているのに嫁は勝手に消えるし、零戦の設計者が主人公でありながら零戦はほとんど出てこないし、戦争はイヤだけど戦争の道具を作るし、そもそも目が悪いのに飛行機に乗りたがるし。究極的には飛行機と女のどちらを取るかで矛盾が生じる。2つは取れないのだ」
「矛盾そのものがテーマで一貫しているわけだね。でもさ。矛盾していると映画が成立しないのでは?」
「だからね。矛盾の中間に夢の世界があって、カプロニおじさんが出てくるわけだ。そして、それによってまた矛盾が生じる」
「どこが矛盾するわけ?」
「日本機の最高傑作零戦の設計者を主人公にしながら、登場する飛行機の半分以上は外国の飛行機だ」
「結論はなんだい?」
「矛盾は解消しない。解消しないまま胸に納められる大人だけがこの映画を見る資格がある」
「やっと結論らしい話に落ち着いたね」
「しかし、結論が存在しないことが結論なのだ」
「あるのか無いのかはっきりしろよ」
オマケ §
「ああ、分かった」
「何が?」
「この映画の軽井沢は夢の世界なんだ。全ての矛盾が棚上げされ、何も無かったかのように世界を謳歌できる。でもそれは現実ではない。虚構に過ぎない。実在していないのだ」
「軽井沢は実在の土地だよ」
「そうだ。しかし軽井沢的な価値観は虚構なのだ。夢の世界なのだ。下界に戻れば消えてしまうはかない夢なのだ」
「ぜんぜん分からない」
「従って、本質的に軽井沢の住人であるヒロインは、夢の世界で二郎を待つことができる。逆に下界に降りてくると悲惨な日々を送らざるを得ない」