Subject: 続々々々・烏山付近に気になるガードレール・歩道の真ん中にガードレール!
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20130818132238
名前: 菊川 涼音
本文:
残暑お見舞い申上げます
本日も湿度の高い暑い日ですが、いかがお過ごしでしょうか。
先日の投稿を採用頂きまして、大変恐縮致しております。
有難う御座います。
投稿後、チョッと確認と思い現地へ出かけましたが、御案内いたしました情報以外にも気になったところが出てきましたので、再度の投稿を致したく存じます。
踏切 に関するご指摘で、用水路跡っぽいとのこと、写真の踏切は医院角のほうでしょうか。
写真でもはっきりわかるのですが、(線路にあるものではなく)踏切の向こう側の道が、踏切より広いのが気になります。また、この踏切の前後の探索もしましたが
、どうもこの線は、先のコンクリートの構築物とは間接的にはつながっていたようですが
、直接的には旧甲州街道の松葉通り入口の信号を通る南北の線の延長上のような気が致します。
信号のちょっと東側の区画を南に、ジュネス烏山の西側辺りまでおりてきて、踏切の交差する道の少し北方の(道がほんの少し屈曲している北側の付け根辺り)
からこの道の西側に沿っていたようです。線路を越えてからは白梅荘先で(東西に走る別の用水路に)合流していたようです。
この線の実地と想定の要件は、松葉通り入口近くの区画割り・土地の高低・縦道の微妙な屈曲・踏み切りの幅の狭さと先の道の広さ、です。
もう一本、従前に下田病院の西側~松の湯で御案内しました線ですが、道幅を考慮すると、4-9の区画の中央を通って居た様に思えてきました。(昔の記憶では下田さんの玄関前に用水路っぽいものがあったような気がしておりました)
こちらも、松葉通り入口近くの線と同様、宿場町の烏山としては道路に沿った用水より、建物の間の物の方が都合がよかったのかもしれませんし、この付近の道割りが北北西~南南東向きが殆どですので、高低差から田畑の方向に沿っていたと思われます。ですので、ちょっと訂正いたしまして、4-9の旧甲州街道の面した区画の真ん中辺→下田病院中央付近→線路南側松の湯東北角(ここで逆T字分岐)一方は東進して白梅荘付近(ここで先ほどの線と合流?)→医王寺北側→UR道北側水路もう一方は西進して直ぐに松の湯に沿って南下、バス通りに出て渡らず東進、吉川水産(!)前から道をそれて住宅地を進み、医王寺西の道から医王寺南庭→UR道南側水路ではないかと思われます。
こちらの想定要件も、土地の区画・建物の設置具合・高低差・道幅・付帯物件の位置関係と残存している農地から調査してみました。
範囲が広くなってしまい、失礼致しました。
また、ここのところの現地調査が夕方や日没後でしたので、もしかするともっと見逃している物があるかもしれませんので、とりあえず、追補的な感じでお伝え致します。
取敢えずになりまして失礼致します。
まだまだ暑い日が続きそうですので、御体ご自愛くださいませ。
きくかわ
追伸
踏切の写真にあった堀状のものは、火災発生時に線路を越えての消火用ホースを、電車の運行に支障ないようにくぐらせるための物です。
近年は町々の消火栓の普及により、この設備は殆ど使われていません。
ただこの場所は、想定水路とかぶるので、「もと用水路跡」でも問題ないかと存じます。
もう一つ、「踏切道の幅」ですが、これは線路敷設時に設定されたものがそのまま継承されているので、昔の道幅が容易にわかります。(踏切道の幅を変更するのは鉄道会社だけで勝手に出来ないので、だいたいは敷設時の図面のままです。京王もごたぶんに洩れず殆どは開業時のままです。さらに鉄道側が管理等面倒になって廃止されるものは結構あります。
これも京王はかなりな数になります。ちなみに、京王の場合は駅間にいくつの踏切が存在していたかは、駅の直近東側の踏み切りの番号で判ります。勿論なくなってしまったものもありますので、おおよその数にはなってしまいますが。番号は線路と線路の間に白い杭があって、「芦花○号」「つつじ○号」等表示されています)