「星を賣る店 クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会」 §
「なぜ行ったのか理由を教えてくれ」
「星を賣る店、人が多くて見られないなら祝日の午後は避けろと書いてあったので」
「そんな理由かい」
「せたぶんだぜ」
「メジャーな大美術館ならよくあることだが、せたぶんでそれは珍しいってことだね」
「そうだ」
「結局、どうだったの?」
- 土曜の朝10時頃に行ってチケット販売に行列
- 入ったらほとんど見られない人の山
- (でも先に行くとガラガラ。混んでいる美術展のお約束通り)
「結論はなんだい?」
「混んでいる美術展を見るノウハウの通り、最初の展示は諦めて奧に行ったらゆっくり見られた」
「感想は?」
「昭和16年の沖電気の無線機が置いてあったけど、ダイヤルが1つ取れていた」
「それはいいから。美術展だから。そういう目で見てくれ」
「そうだな。それなりの見応えはあるのだが、そこまで行列する内容なのか、と思った」
「は? 何が問題なの?」
「これらはアイデアメモに形を与えただけで、作品というにはもの足りない……と感じた。事実アイデアメモそのものを貼ってある場所もあったしね」
「それはどういう意味だい?」
「答えは2つあるというのは、選べなかったモラトリアムの特徴であって、貫徹できない未完成の何かという印象を与える。なまじ形にする技術だけはあるので、作品になってしまっているのだが、本当はまだそこまで行ける段階ではない……ような気がした。本当はまだまだ磨きを掛けるべき段階……のような気がした」
「辛辣だね」
「まあ、見ていて美術館では感じることがない『コレジャナイ』という違和感は残った」
「旅についての断章」 §
「常設展の会場の方でやってた。こっちは何もマークしてなかった」
「旅は意味があると思うかい?」
「思う。そういう意味ではいい展示だったと思う。特にニューヨークに誰だかが行った写真が並んでいたところが良かった。あれは熱心に見ちゃったな」
「そっちは楽しんだわけか」
「そういうことになるなあ」