「ヤマト2199の豪華本21990円」
「それは買うべきもの?」
「ヤマト出費は聖域で、何でも買う人はともかく買えば良いと思うよ」
「原画展で売っている9万円の絵が買えれば高くないってことだね」
「あと21990円という値段に意味を見出す人ね」
「そこもポイントかい」
個人的には §
「あー。昔は豪華本欲しかったけど買えなかった」
「今は買えよ」
「買わない」
「なぜだよ」
「昔はね。録画する手段も無いし、円盤も売ってないでしょ? だから本やレコードを手に入れて必死に思い出すしか無かったわけ。でも今は円盤が買えるでしょ? 円盤に入っている映像こそが作品の完全な完成形であるはずなので、とりあえず円盤を確保するのが最優先事項だ。もし、それが手に入ってしまったら基本的に本は要らない」
「舞台裏の情報とか、あるんだろう? 設定資料とか」
「うん、そこだ」
「どこ?」
「設定資料は【作品】ではないんだよ。スタッフ間意思伝達のために描かれるもので、それは鑑賞するためのものではない」
「昔は見たがったじゃないか」
「子供だからな。珍しいものは、何でも知りたかった。何でも見たかった。でも今はもう趣味が枯れてしまったからな。何でも見ればそれで良いとは思わない。【これが完成形です】といって提示されるものだけ見たいと思うよ。それ以前のものは、見たってしょうがない。何かが足りないと思ってもそれは当たり前なんだ」
「ほんとかよ」
「たとえばね。顔が潰れて変な顔のヒロインというのがいる。でもね。あれは動くことを前提にしたデザインで、実際に画面で動くと可愛く見える場合があって、それは素晴らしい」
「静止画でいくら見たってしょうがない……ってことだね」
「そうそう。静止画の設定なんか見ても意味が無い」
「じゃあ、CDは?」
「CDはね。音楽単体での評価があり得るので、買う可能性はある」
「でもビジュアルの本は違うわけだね?」
「そう。アニメのビジュアルは動くことが前提だが、本のビジュアルは動かない。最初から本に載せることを前提にした飛ぶ理由は本で読んで問題無いが、アニメは本で見ると何かが抜け落ちる」
「昭和ヤマトは舞台裏まで見ようとするくせに」
「平成ヤマトの舞台裏は見たくないよ。それは生々しすぎて見たって嬉しくない」
「じゃあヤマト2199は1視聴者の立場からはみ出そうとは思わないわけ?」
「生きている作品は解剖したらグロいだけだよ」
オマケ §
「たとえばね。顔が潰れて変な顔のヒロインというのがいる。でもね。あれは動くことを前提にしたデザインで、実際に画面で動くと可愛く見える場合があって、それは素晴らしい」
「動いて印象が変わる具体例をあげてくれ」
「トライブクルクル」
「ひ~」
「静止画の設定なんか見ても意味が無い」
「動いて印象が変わる具体例をあげてくれ」
「トライブクルクル」
「おまえの頭はクルクルパーか!」
「今更驚くことかい」
「なんでトライブクルクルにこだわるわけ?」
「1回見たら面白かったので」
「それだけ?」
「シリーズ構成冨岡淳広って復活篇の人だよ。ヤマトと無縁と思ったらいかん」
「なんてこった」
「それにしても、トライブクルクルは【サンライズとavexとのコラボレーション】らしいが感慨があるねえ。無名時代の初期のavexレーベルのダンスCDはよく買ってた」
「うそー」
「うん。だからね。秋葉原で、サンライズのロボットアニメのサントラCD買った後で、そういうCDの店に回って買っていたんだよ。ハウスとかユーロビートのCD買ってたんだよ。アニメ関係にavexブランドが進出してオタクのみんなが名前を知る前から」
「ひ~」
「トライブクルクル。まさに、あれは静止画で見たって意味がないアニメだね」
「他に良いところは?」
「結局ダンスにあまり意味が無かったガイムと違って、ちゃんとダンスをやりそうだ。まさにガイムがダメすぎて【見ちゃいられない。俺に任せろ】という声が聞こえてきそうな中身だな」
「いいのかよそれで」
「本当に野心的なアニメはむしろ早朝に出現する。そういう経験則はあるね」
「でもダンスだろ?」
「戦争を真面目にやるよりダンスを真面目にやる方がいい」
「なんで?」
「より生々しい本物の人間に近づくからさ」