2014年12月12日
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今更浮上する明大前駅移転の謎・それは本当に帝都線乗り換えのためか?

Written By: 川俣 晶連絡先

「Facebookに作ったグループが凄いぞ。いろいろな成果が続々と出ている」

「それで?」

「どうも、京王最大のミステリーにぶち当たったようだ」

「新宿駅の移転問題かい? それとも代田連絡線かい?」

「いいや。明大前。ノーマークだった大問題」

「どこが問題なんだい?」

「これまでの通説は以下の通り」

  • 火薬庫前駅が松原駅に改称され、帝都電鉄との乗り換えのために移転して明大前駅になった

「では何か問題なんだい?」

「松原駅と明大前駅が両方記載された地図が若干存在する」

「君の考えは?」

「京王線の松原駅と明大前駅は本来別個の駅ではないか。同時または非常に近い時期に廃止と設置が起きたために、移転したように見えただけではないか」

「京王の社史を調べろよ」

「そこだっ!」

「なんだよいったい」

「京王の社史の記述が怪しい」

「は?」

「もともと、武蔵野台と白糸台のような関係だったようだ。帝都電鉄が開通してもすぐに京王の駅は移動していない。しかし、明治大学予科が開校したことで、京王も駅を移動させる。明治大学予科に便利な位置にだ。それは帝都線の駅とほぼ同じ。社史にも、はっきりと明治大学予科の開校に伴って駅が移動したと書いてある。けして、帝都線との連絡のためではないのだ。そして、結果として帝都線との連帯輸送が始まると書かれているが、乗り換えの連絡は悪かったとどこかで読んだ記憶がある。つまり、乗り換えの便宜を図る気など全く無かったのだろう」

「客を奪い合う関係だったわけだね」

「おそらくな。しかし、戦後は1つの会社だからそういう話は赤裸々に書けない」

「戦後に書かれた社史はそのあたりをぼかしているわけだね」

「そう。三十年史には駅が移転して連絡が良くなったと書かれているが、それは疑問符が付く。それほど便利ではなかったようだ」

「ということは?」

「あくまで明大予科の輸送需要を目当てに明大前駅が出来たのなら、松原駅とは別物だ。それはそれで、おそらく築地本願寺の廟所の墓参客を見込んだ駅なのだ。しかし、あまりにも距離が近いのでどちらかを廃止するのも妥当だろう。だから、【駅が移転したように見える】けれど【駅の移転】ではなかった、というのが自分の仮説だ」

「社史が間違うかな?」

「実は厳密に言うと戦前と戦後は同じ会社ではないので、完全に情報が継承されているわけではないと思う。しかも中間に戦災がある」

「うーむ」

「というわけで、2つの駅が共存している地図の存在は分かったが、次の課題は本当に共存していた期間があるのか無いのかだ。それが分かれば非常に嬉しいな」

追記 §

 松原駅と明大前駅両方記載の地図の例でもっとも見やすいと思われるのは杉並区立郷土博物館の【杉並の地図をよむ】図録地図集収録の【最新杉並区明細地図】(昭和11年)

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