「おいらは、今一度ヤマト1974のバーガーを見て比較しなければならないと思い、BDで見てみたよ。ヤマト1974第21話第22話を」
「なんでその2話?」
「バーガーの出番があるのはこの2話だけなので」
「なるほど。それで感想は?」
- ヤマト1974のバーガーはもっと普通の人。はしゃいだりしない。こんな結末についての感想も言わない
- ヤマト1974のバーガーはもっと脇役で、出番はそれほど多くない、いろいろな展開をあまりフォローされていない
- ヤマト1974のバーガーは艦長なのか飛行隊長なのか良く分からないが。指揮官先頭は良いことだ
- ヤマト1974のバーガーはそれなりに可愛い
「つまり要約すると?」
「はっきり言って重視されていない脇役だ。扱いはハイデルン以下」
「なるほど。ずばり、そこが君の好みなのだね?」
「ギクッ!」
その他の感想 §
「他に気付いたことはあるかい?」
「そうだな」
- 全般的にヤマト2199の方が良く出来ているが、たまに非常に冴えた描写が挟まることがある。その部分はヤマト1974の勝ち (あくまでそこだけは)
- 特に老人の描写はヤマト1974の方が優れている。ヤマト2199の老人描写は【子供が考えた可愛いおじいちゃん】で、あまり老人らしくない。特に徳川はそうなっている。沖田もシーンによってその傾向を持つ
- 古代と島の口論はヤマト1974の方が上手い (ヤマト2199の口論は感情的な言い合いにしかなっていないが、ヤマト1974の口論はポリシーのぶつかり合いになっている)
- 発艦するガミラス機の胴体の下に車輪を収納する穴が空いている描写であるとか、銃撃を受けて両翼がもげて爆発する急降下爆撃機のようなカットは鋭い。(しかし、大半のカットはぬるい)
- ガミラスファイターは小口径多重主義の戦闘機に見える。7.7mm機銃八丁のスピットファイアとか、12.7mm機銃八丁のP-47とかに近い。実はあまりドイツ戦闘機っぽくない
「どう解釈すればいいんだ?」
「ガミラスファイターとコスモゼロの空戦は、シャワーのように小口径機銃を撃ってくるスピットファイアの大群に、20mm機銃2丁で立ち向かう零戦的なイメージではないかな。スピットファイアの色は緑っぽいし」
「じゃあ急降下爆撃機は?」
「ドーントレス。青っぽい」
「雷撃機は?」
「アベンジャーじゃないかなあ。これも青っぽい」
「では、ヤマト2199が急降下爆撃機をスツーカになぞらえたのは間違い?」
「そこも良く分からない」
「なぜ分からないの?」
「そもそも、話が最初から分裂しているからだ。三段空母のイメージソースは日本の空母なのに、それは日本の戦艦を攻撃するためにある。だから、日本の戦艦を攻撃した敵機をモティーフにした敵機が日本風の空母から発進する矛盾が生じてしまう。実に構造がネジている。ヤマト1974の病理とも言える」
「なぜそんな病理が生じたのだと思う?」
「理由は簡単で、松本零士がもともと暖めていたイメージを寄せ集めて作品を成立させているからだろう。そういう混乱はヤマト1974にあって典型的だ。たとえば第1話で、ガミラス地球双方が砲身の無い砲塔を使っていて区別が付きにくい問題がある。そのあと、砲身のある砲塔を両軍共に使用しており、やはり、はっきりしない」
「それだけ?」
「いや、ガミラスの宇宙艦と都市のデザインが一貫していない問題もある」
「問題だらけだね」
「そうそう。でも、それは深層に切り込むための糸口だからね。邪険にしたものではない」
「で、そろそろ話をまとめようよ」
「うん」
「ヤマト1974のバーガーを見てどう思った?」
「まとめよう」
- そもそも脇役なので、ヤマト2199のバーガーとは比較にもならない
- ヤマト2199のバーガーとヤマト1974のバーガーはまったくの別物である
- ヤマト2199のバーガーは人間的な弱みを持っている分だけ人間的な魅力があり、優位に立つ
- ヤマト1974のバーガーは人間性を云々するほど掘り下げて描写されていないので、逆にいえば見る者の思い入れ次第でどうにでも化ける
- ヤマト1974のバーガーに愛着があれば、ヤマト2199のバーガーは許容できないだろう。ヤマト2199ののバーガーに魅力があるか、という問題とは別個に存在する問題であろう
「もっと簡潔に言ってくれ」
「方舟のバーガーはよく描かれていて演技も良い。人間的な魅力もある。しかしながら、あれは出渕バーガーであって、ヤマトのバーガーではない。そこで、発生するのは【バーガー人気】と【あれヤマトではないという感想】の並立だ。どちらも間違ってはいない。当然あるべくして起こった矛盾した価値観の表出だろう」
「結局どこで問題がこじれているわけ?」
「自分のヤマト観を持ってそれを育んできた人から見れば、方舟は自分のヤマト観と相容れないと見える」
「それだけなら無視すればいいだろう?」
「そうだ。ところが、ファンのかなりの割合が出渕バーガーを好意的に迎えてしまい、無邪気にバーガーが可愛いと言っている状況は、大いに危機感を発生させる。自分が長年育ててきたヤマト観が否定されつつあるかのような印象を産んでしまうかもしれない。その結果として、意固地になって【あんなのヤマトじゃない】という叫ぶ抵抗も発生するだろう。当然、無邪気にバーガーを好んだファン層から見れば、それも耐えがたい。方舟のバーガーは良かったから【バーガーは良かった】と言っているのに、それを否定されているように見えてしまうからだ。事実として、バーガーの演技は悪くなかった」
「その結果何が起こるんだ?」
「いつか来た道だ。松本派と西崎派に分裂したように、スタンダードをヤマト2199に求めるか昭和ヤマトに求めるかでまたファン層が分裂しかねない。いや、正確に言えばもう分裂しているだろうね。意識されていないだけで」
「なぜ意識されないのだい?」
「ある時期までヤマトを見るというのは自動的にヤマト2199を見ることとイコールだった。他に無いからね。だから、ヤマト2199をスタンダートと思う人も思わない人も表面的な行動は同じだった。しかし、ヤマト2199が終わった今、その先の行動は同じにならない。ああ、終わった終わったと思って出してくるBDは人それぞれだろう。もう昭和ヤマトのことなんか忘れたと思ってヤマト2199を見る人と、結局ヤマト2199はイマイチで終わってしまったからまた昭和ヤマト見ようと思う人はおそらくどちらもいる」
「君はどっちなんだ?」
「最近の行動を思い返してみると、ヤマト2199のBDはほぼ再生してないな。追憶の航海をちょっと再生したぐらいで。ヤマト1974のBDはコンスタントに時々再生する。調べ物や確認事項があるのでね」
「君の軸足はどこにあるんだ?」
「歴史研究だからね。軸足は過去にあるよ。真に想像を絶する驚異の世界は、宇宙にも未来にもなく過去にあるという信念があるからね。事実として空想で描かれた未来や宇宙よりも、発掘された過去の方がはるかに想像を絶している。事実は空想より奇なるのだよ」
「ヤマトの新作よりも、ヤマトの元ネタになったかもしれない映画を見る方を好むのだね」
最近の疑問 §
「そういう意味で最近の疑問は、1980年の地震列島という邦画、21世紀のメトロ42というロシア映画が地下鉄の水没を描くパニック映画としてあるわけだが、それ以前にアメリカかヨーロッパに同じ主旨の映画があったのでは無いかという仮説を立てているが、これだという映画を見つけ出せていない」
「そんなことを考えているのか!」
「でなければ未来兵器ASを契機に考え始めた近未来戦車だ。おいらの考えた近未来戦車は貧乏国が運用するテクニカル駆逐車だ。本物の先進国は絶対に勝てる戦争しかしない。血で血を洗う戦争は、上手く搾り取られているということに気づけない貧乏国がやる。そうすると、最新ハイテク兵器などは当然運用できない。そうすると、やはりテクニカルが主要兵器になるが、当然それを駆逐する兵器も求められる。そう考えたのがテクニカル駆逐車だ」
「どんな車両?」
「テクニカルの発展形で、ピックアップトラックのエンジンを強化し、装甲と無限軌道と小形の砲塔を取り付ける」
「それでは本物の戦車に勝てないよ」
「いいのだ。要するにテクニカルを圧倒できればそれでいいのだ」
「なんてこった」
「というわけで、具体的な形状を考え始めたとき衝撃的な情報が」
「なんだい?」
「BMP-1の砲塔を積んだテクニカルは実在するらしい」
「やはり、事実は小説より奇なりだね。現実は空想の上を行く」