2015年02月09日
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続々・コント55号の大弱点のここはどこだ?

Written By: 川俣 晶連絡先

Subject: 続・コント55号の大弱点のここはどこだ?

Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】

URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20150203105349

名前: 菊川 涼音

本文:

お疲れ様です。

首都高2号線の件は、コレだったのですね?

皆様の解釈を拝見いたしまして、やはり五反田駅の東側の様な気がしてまいりました。

しつこくなって申し訳御座いません。

以下箇条書きにて失礼致します。

  • 川と橋2本の交差状態(2本共鉄道橋、ジロさんの頭の後ろの架線支持柱1、同じく顔の斜め右上に遠方の橋の架線支持柱2、欽ちゃんの頭の右に架線支持柱3、多分欽ちゃんの頭のギリギリに遠方の橋の架線支持柱4=1・3が手前の線路、2・(4)が遠方の橋の線路)
  • 別に川の奥にも道路橋らしきもの=現都道317のものかと
  • 川に川舟が結構いる=海に近い
  • 線路と川の間、対岸の建物群が丘状に建っている(大崎1-9)=現在も丘状の土地
  • 川の手前側がカーブして画面の左側に向っている=撮影場所が川に対してカーブの
  • 外側=現在の五反田東側「プラウドタワー東五反田」と「フーディウム」の間の「サウスウイング東五反田ビル」角、川の護岸が改修されているので現在の川べりの最上部地点が撮影ポイント
  • 撮影ポイントから50mm~64mmレンズ位で見ると大体このくらいの画角になるかと
  • 銀行の看板のあるたてものは遠方の線路橋の向こう側=現在の都道317沿い=画面でジロさんの頭の左あたりが大崎広小路で、大崎広小路には現在北東角にりそな銀行があります
  • 撮影場所の至近に、東京現像所(現イマジカ)がある=イマジカ城下町
  • 全体の光の当たり方・影のつき方が画面左上側からの日差し=北東(東北東)から南西(西南西)に向けて撮影=(目黒の目蒲線と首都高2号の重なりが川の曲がり方共似ていて、下目黒2からの撮影だと同じようになるとも思いましたが、日の向きが違うかと(若し下目黒だと光線が右上側になってしまうかと)
  • 一番の問題の電車ですが、この画面を見る限り手前(東より)を走行している様に見えます=現地は西から山手貨物北行・山手貨物南行・山手外廻・山手内廻なので、山手線を走行す
  • る車両のようですが、編成が短いとのことで考えるに、大崎~池袋間の回送か配給列車(電車区同士で工場入出の車両のやり取りをするための列車や、電車区で使う部品類を運ぶ列車・山手は結構走っていました)の可能性がありそうです。撮影が日中ですから余計その可能性がありそうです。
  • また、このような工場出入り編成なので短くても不思議ではありませんが、写っている車両がクハ車(運転台があって動力が無い車両で多分山手用クハ103か赤羽用クハ101)ですから、最低で3両編成が組めますので短い編成という条件には合うかと(たまたま写ったのでしょうが)映画の時代は東急でしたら濃い緑色1色か上半山吹色・下半紺色で、車体長さも短く屋根がぽっこりしていますし、台車ももっと横長です(なにせ目蒲・池上全車が旧型車ですので・・・)

という解析を再度してみました。

欽ちゃんの頭の後ろの架線支持柱(があると仮定して)というのがちょっと弱いですがもう一本のジロさんの顔の近くの門型支持柱、日中の配給列車の件、光線条件、現像所が近いというのはそれぞれ可能性のひとつと成り得そうでしたので、しつこく解説してしまいました。

重ねて失礼致します。

 菊川

「意見はあるかい?」

「とりあえず、電車の編成が短いことで103系の可能性を除外していたが、頻度が低いとはいえ可能性があるなら話が変わってくるな」

「そう思って見ると山手線のクハ103に見えてくるわけだね」

「床下がスカスカだからクハなんだろう」

「で、君の意見は?」

「確認できていない詳細も多いのだが、goo地図の昭和38年の航空写真で、菊川さんの推定位置にそれっぽい建物もあるので、割と良い線かも知れない」

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