2015年02月14日
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続々々・コント55号の大弱点のここはどこだ?

Written By: 川俣 晶連絡先

Subject: 続々・コント55号の大弱点のここはどこだ?

Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】

URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20150209121158

名前: 菊川 涼音

本文:

メッセージのご返事大変恐縮で御座います。

拙速では御座いますが、配給電車についての話を上級の知人に確認しましたところ、山手線の品川~池袋間では平日休日共に11時台・13時台・15時台に上下それぞれ回送があったそうです。部品を運ぶ車両は旧型の茶色いトラック状の車両でしたが、単に入出区の単独運転・回送もかなりあったようです(昭和45年頃で10時~16時台毎時1本設定だったようです)

別にこの時代は山手を走るものとしては新聞・郵便電車もあったのですが、こちらは茶色の旧型車(クモニ13型)なので除外します。また、山手貨物にも品川(田町・東京機関区・品川客車区)~高崎(高崎機関区・客貨車区)の定期配給列車が1日一往復ありましたが、こちらも

機関車牽引なので除外します。

編成についても、10両丸々の場合から、差し向けた牽引用旧型車に繋ぐ1両(2両編成)まで、さまざまだったとのことです。

お察しのとおり、写真の車両はクハ車で山手・池袋電車区のものでしょう。乗客も乗っていないように見えますが、如何でしょうか。

取り急ぎご連絡迄

「かなり示唆に富んでいる」

「それはどういうこと?」

「実は、通学に山手線を利用していた2年間があるのが、その経験はあまり意味が無かった」

「というと?」

「混雑したラッシュ時に回送のダイヤなど設定されていないから、朝見ることはあり得ない。帰りの時間帯は回送を見ても不思議ではないが、実はあまり見ない。理由は簡単だ。すれ違いの場合、ほとんど詳細は見えない。かといって、同じ向きの場合は駅で見るしかないが、運転間隔の短い山手線の場合、すぐに電車が来てしまうので駅で粘るということがない」

「103系の時代じゃないと意味がないぞ」

「そうだな。自分が通学していたのは、103系の編成で前後が冷房車で中間が非冷房車だった時代だと記憶する。クハは銀帯入りのATC準備車」

「つまり、毎日乗ったことがあるからと言って、分かっていると思ったらいかんわけだね」

オマケ §

「山手線の思い出と言えば」

「言えば?」

「高校3年の時学校が池袋から志村三丁目に移転したのだが、そのとき新宿巣鴨経由で定期を買おうとしたら、駅員が【こっちの方が安いですよ】と神保町経由の定期を勧められて買わされたが、けっこう時間が掛かった。まあ乗り換えの手間が減るし安くなるのは事実だけどね」

「神保町経由ってことは山手線に乗らないわけだね」

「そう新宿から都営新宿線で神保町に出て、そこから三田線で志村三丁目まで行くから、山手線とは交差するだけ。乗ることはない」

オマケ2 §

「クハは銀帯入りのATC準備車って、そんなのもう死語じゃないか? 誰も分からないんじゃないか?」

「かもね」

「中間が非冷房車とか」

「あの当時は叩かれたものだ。電車がホームに入ってきて、【あ、冷房車だ】と思って喜んだら中間車は非冷房だって」

「今は、冷房が無い通勤電車を探す方が難しいかもね」

下高井戸周辺史雑記