「ヤマト2199TV放送版後期OPはUVERworldのFight for Libertyなのだが……」
「それがどうした」
「実は再放送から撤去されて無かったことになっている」
「君としてはどうなんだ?」
「ヤマト1974には時々OPやEDが無かったりする場合がある。主題歌を最後に流したりね。そういうエピソードが再放送で普通のOPEDを入れて流してしまう事例をいくらでも見てきた」
「それと大差ないわけだね」
「でもそれが良いことかと言えば、そうは思わない」
「違ってしまうのはそれはそれで問題ってことだね」
ヤマト2199劇場公開版は? §
「ヤマト2199劇場公開版とTV版で主題歌が違うのはどうだ?」
「それは、ぎりぎり納得できる。公開フォーマットも違えば客層も違う。タイミングも違う。主題歌を入れ換えることはあってもおかしくはない」
「それは話が別なのだね?」
「そう。再放送は基本的に同じ層。見られなかった人が後から見るためのもの。それで内容が違ってしまうと、先に見た人と話が合わなくなる」
繰り返される惨劇 §
「結局、再放送で無いことにされたFight for Libertyの問題って何だよ」
「ファンのかなりの割合が拒否反応を示したので、撤去されたのだろう」
「歌としてダメだったから? ヤマトに合っていなかったから?」
「別にそうは思わない。そんなに悪くは無かったと思うよ。個人的には」
「じゃあ何だよ」
「単純に受け付けないファンの方が多かったというだけの話だろう」
「ヤマトに似合わないという意見も多いようだが」
「それを言いだしたら、ヤマト2199そのものがそもそも凄くヤマトっぽくない。そのことはくどくど言う気は無い、ヤマト像は人それぞれであり、自分のヤマト像と違うからといって、それを【ダメ】とは言わない。個人的にはね。そういう意味で、【こんなのヤマトじゃない】というヤマトを山ほど見てきたよ、昭和の時代からね。でも、それは個人の受け取り方の差であって、文句を言うべきものではない。だからけして【おまえは間違っている】とは言わないよ。誰の受け取り方もその人なりの真実なんだ」
「それは、誰かが【これはヤマトに似合う】と思ったからこそ採用されているわけで、【似合わないと思った人】の存在は、【全員が似合わないと思っている】とはイコールじゃないってことだね」
「そう。でも多数派を形成すると少数派は押しつぶせる。数の暴力だね」
「では、Fight for Libertyの問題の本質は、似合う似合わないの問題ではなく、単なる数?」
「そうだ。ビジネスは数だ。売れないと意味が無い」
「結局、Fight for Libertyの敗因は何だよ」
「ヤマトファンは、素晴らしいささきいさお大先生の歌唱も、素晴らしい宮川音楽も知っているから、音楽に対する感性は豊かだと思い込んでいるのかもしれない。でも、そんなことはない。復活篇がDC版になって宮川音楽を復活せざるを得なかったことからも分かる通り、実は多様な音楽を受容できない」
「DC版を見ながら【やはり宮川音楽は素晴らしい!】と言っているのは不十分ってことだね」
「そうだ。結局DC版に対して【やはり宮川音楽は素晴らしい!】と言う意見が非常に多く噴出したことが、UVERworldへの敗北を既に予測していたとも言える」
「まとめるととうなる?」
「復活篇でヤマトは決戦には勝ったが古代は負けたと宣言する。そういうことだ。Fight for Libertyを再放送から排除されることを望んだファン達は望みを叶えて勝ったけれど……」
「その勝利がどこまで本当の勝利は分からないってことだね」
「七色星団の決戦版のエンディング主題歌バージョンが再放送で流れるまでずっと待ち続けた子供の末裔としてはね。何かの要素が決定的に欠落した再放送はいろいろ思うところがあるよ」
クライシス1993リバイバルとしてのクライシス2015論 §
Subject: 1983アニメ映画決戦、ヤマト完結編、クラッシャージョウ、幻魔大戦
Keyword: 【▲→トーノZERO→アニメ論→アニメクライシス1983】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20140830091213
名前: トモネコ
本文:
「1983再評価?」
クラッシャージョウがイベント公開されるようです(驚)
https://www.dreampass.jp/e755
このページを読むと幻魔の文字も..
ヤマトで昔のアニメを考えたので次は1980年代アニメの再考の時が来ているとうですね。
やはりトーノ様は一歩先を読んでいられますね。
「まるで違う話なので、混ぜないように」
「先でも後でもないってことだね」
「そうだ。こっちは突き放した視点で再検証をするだけの話だが、これといってクラッシャージョウだけ、幻魔大戦だけを再考する気はさらさらない。別にもう1回劇場の大スクリーンで見たいと思っていない」
「結局、何が違うんだい?」
「【懐かしい】【素晴らしい】【もう1回見たい】というのがこのインベントだが、こっちはべつに素晴らしいとも思っていない」
「価値観は完全にすれ違っているわけだね」
「結局さ。問題はヤマトを含む古い映画の再上映で投票が行われている理由は何かと考えることだ。ひたすら頭を使わない反射行動が今のネットの病理だからね」
「じゃあ、いったい何が理由なのさ」
「リバイバルブームの変質と確実な集客にあると思うよ」
「リバイバルブームの変質ってなに?」
「リバイバル可能な主なタイトルは消費し尽くした。ヤマトもやってしまったしね。ポワトリンもワンセブンも映画に出た」
「だからどうした」
「没企画の仮面ライダー3号が出るぐらい、もうタマが無いんだよ」
「ひ~」
「アニメの場合、もう新作が作れるようなタイトルが無い。だから、【超人気作というわけではないが、一定の集客が見込めるタイトル】に、矛先が向かう。クラッシャージョウというのはそこにはまる」
「じゃあ、集客ってなに?」
「投票制にすれば、客が集まらないタイトルは上映しなくていい。事前に足切り可能。しかも、投票した以上見に行く制約が発生する。意見だけは活発で実際に客が来ない問題は回避できる」
「君の考えは?」
「これはね。相互に競争させることで、本来なら劇場に来ないはずの客を発掘しているわけだ」
「あのタイトルには負けたくない。この映画を応援したいという競争心を煽るわけだね」
「オークションでも良くある話だが、そうなってくるともう本当に見たいのかではく、上映させることが目的になってしまう。商売としては上手いやり方だけど、一種のバブルだね。中身はあまり無いと思うよ。どのみちイベント的に1回ぐらい上映しても、ほとんどインパクトは無いと思うよ」
オマケ §
「青赤に塗ってガミラスファイター1/2を作った君がクラッシャージョーを別に見たくないことを証明できるか?」
「できるぞ。今メカコレの駆逐艦があるが、これは2隻セット。これをどう作るか悩んだが、ファイター1/2風に青赤に塗る予定は無い。同じネタでは面白くないからだ」
「じゃあ、どう塗るんだよ」
「そうだなあ。スーパー・デストロイヤー1号/2号風に」
「そんなの分かるか! バキッ!!☆/(x_x)」