2015年07月22日
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山下駅の移動問題のおそらく決着らしいものの図示

Written By: 川俣 晶連絡先

 以下の図は説明のための模式的な説明であり、縮尺や比率は正確ではありません。

山下駅のホーム位置の時代ごとの変遷を横に並べる §

その1その2その3

 それぞれの図の詳細説明は以下の通りです。

昭和10年頃 §

その1

典拠・昭和10年東京郊外電車ハイキング〈上〉 18ページの写真(1934.9.10)

昭和20年代~2両編成化 §

その2

典拠・goo地図の昭和20年代~30年代の航空写真

現在 §

その3

典拠・各種現行地図や航空写真

北沢川流路との関係は? §

「古老に聞く」 豪徳寺駅周辺の昔話しによると、【玉電山下駅から西方、経堂界隈まで雨が降る度に北沢川の流路が変わっていた。 ※ ということは、河川改修前の各年代別地図に書きこまれる流路は、確定されていた訳けでなく、概ねのところの流路で書きこんだ作成された地図であった。玉電線路敷設計画図面でも3つの流路があった訳だ。】ということなので、おそらくホームが移動したのではなく、川の方が移動した結果として、駅が川の北に描かれたり南に描かれたりしたのだろう……と推定できます。

結論 §

 情報が無い時代に更に移動したという話もあり得ますが、その可能性は留保した上で既知の情報だけで判断すると以下のようになります。

  • 山下駅のホーム移動はおそらく1回きり。上りホームが道路を挟んで移動した時だけ
  • 2両編成化でホームが拡大したときは、ホームではなく道の方が移動している。ホームは移動せず拡大しただけ
  • 現在の上りホームは、移動後のホーム全体と、移動前のホームの一部の土地を包含している
  • 上りホーム下高井戸寄りに若干の土地が余っているように見えるのは、かつてのホームの跡地。(しかし、ホーム跡地は北沢川跡を越えない)

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