「玉電上町駅のホーム移動問題に、決着らしいものが付いてきたで、玉電の上町の下りホームは戦時中に移動した可能性を示唆し、戦災が原因で移動したのでは無いかと予測したが戦災ではないらしいことが分かっていた」
「じゃあなんだい?」
「特にアイデアは無かった。しかし、突然凄いアイデアが降って沸いた」
「何だよ」
「この記事に重大な示唆があった」
「示唆とは?」
「戦時中に三軒茶屋の路線が変更されているのだ。おそらく自動車学校に関係する。軍事関連なら、戦時中の大幅改変も納得が行く」
「それだけ?」
「もう1つ重要な示唆があった」
「それはなに?」
「以下の記述だ」
1924年(大正14)東京農大の北側の広大な地域に陸軍自動車学校が発足している。陸軍機甲整備学校も併設されて大型軍用自動車関連の業務が進行していた。 戦局華やかなりし頃、 この自動車学校関連で昭和15、16年頃、上町駅先の辺りまで、歩道付き世田谷通りが出来ている。
「立派な世田谷通りが建設されると、それによって上町の下りホームの敷地が削られ、手狭になった可能性がある」
「だからホーム移転なのだね」
「しかし、玉川線廃止時に車庫が建設されホームは元の場所に戻った。しかし、やはり手狭だ。この手狭さを嫌ったホーム移転だと思えば納得も行く」
「でもさ。今は手狭なホームなんだろ? それで良いなら、移転する必要がないだろう?」
「今は十分さ。でも、当時は軍事関連の輸送拠点だったのだよ」
「想定される重要度が違うってことだね」
まとめ §
- 上町駅の下りホームが1回目に移動したタイミングは、昭和15、16年頃の世田谷通りの整備のタイミングだという可能性が出てきた
- 直接の移動の理由は、道路整備によってホームが手狭になったからである
- 間接的な移動の理由は、自動車学校の整備である
- 三軒茶屋の線形の改良も似たようなタイミングで行われている
- 上町-三軒茶屋間あるいは-渋谷間で他にも改良が行われている可能性がある
- この時期の玉電下高井戸線の改良は、上町-三軒茶屋間に限定される。上町-下高井戸間はむしろ駅の統廃合など、輸送力を削る方向で進んでいる (省資源)。理由は、軍事拠点が無いから
- 上町から自動車学校方面への玉電の延長は、かなり現実味のある話だった可能性があるが、戦争の勃発で立ち消えた可能性がある