きむらたかしさんからご教示頂いたページだが、きむらたかしさん自身が仰るとおり記述に疑問がある。
要するに【昭和初期のラジオガァデン】の写真だと主張しているのだが、本当にそうだろうか。
そのような疑問を自分が抱いた理由は、小学生時代に秋葉原に通ってラジオガァデンそのものを知っていた上に、大学を卒業した後ぐらいの時期は都営新宿線の小川町駅から徒歩で秋葉原に行っていたので、ラジオガァデンの前をいつも通っていたからだ。
まず、私の根拠の無い感想で言えば、これは1980年前後、秋葉原がまだ電気の街として有名だった時代の写真だ。
では検証に入っていこう。
まず昭和初期という年代はどうだろうか。
そもそも、昭和初期に電機部品の店が秋葉原にあることがおかしい。なぜなら、ここに電気関係の店が集まる根拠は戦後の進駐軍にあるからだ。
WikiPediaのラジオガァデンの項目ではこう説明されている。
- 占領軍の露店撤廃令により、神田駅~神田須田町~小川町エリアの電気部品の露店商が移転してくる形で、1950年に開業。この由来は、秋葉原ラジオセンターや東京ラジオデパート等と同様である。
つまり、昭和初期という説明はこれで否定される。
では、実際にはいつなのか。
まず、写真右側のボロボロの交番。これは須田町派出所(万世橋交番)といって、1992年に江戸東京たてもの園に移築されたらしい。つまり、この写真の上限は1992年だ。
さて、写真に写り込んでいる電車は、窓の配置から考えておそらく201系だ。写真が不明瞭なので、他の形式という可能性もあるが、おそらく旧型国電と言うことはあるまい。つまり、候補はほぼ101系, 103系, 201系に絞られる。それぞれが中央線を走った時期はWikiPediaによれば以下のようになる。
- 101系(1957年12月 - 1985年3月)
- 103系(1973年4月 - 1983年3月)
- 201系(1979年8月 - 2010年10月)
本命は201系なので、この場合写真の撮影時期は1979年~1992年の範囲となる。一応これを暫定結論としたい。
ただし、もっと遡る可能性は否定できず、その場合は撮影時期の下限は1957年まで遡りうる。しかし、それ以上遡ることはおそらく無いだろう。