2015年10月19日
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国立新美術館 ニキ・ド・サンファル展

Written By: 川俣 晶連絡先

国立新美術館

「国立新美術館のニキ・ド・サンファル展に行ってきた」

「なぜ?」

「ちょっと豊満な女性の表現が気になったので」

「なぜ今日?」

「どうせ混む土日を外したかったので」

「それで結果はどうだった?」

「うん。結局、女性アーティストでありながら女性的な特徴を強調するような作品作りはレズビアン的であるし、女性の女性らしい暗部を隠さないのはやはり女性的な表現だと思う」

「銃を撃つことに関しては?」

「自分に足りない男性器的なものを、獣を撃つことで充足している……というような短絡的な話ではないだろうな。作品は面白かった」

「他に、何か?」

「何だかよくわからないものでも、じっと対話していると人の顔が見えてきたり、ちゃんと解釈可能だったよ」

「他に何か言いたいことは?」

「アニメ見て喜んでいるレベルでは、表現が抽象的過ぎて歯が立たないだろうな。おそらく、何も読み取れず『絵の勉強を基礎からやり直しましょう』とか勘違いした上から目線の感想を言うのだろうな。まあ。そんなことを言う連中は最初から入場料を払わないから来ないだろうけど」

「来ないだろうね」

オマケ §

「ニキ展の隣で二紀展やってたのは何のダジャレだ?」

「たぶん、単なる偶然だと思うよ」

オマケ2 §

「女性とは恐ろしいものだ。男なら誰でもそのことを知っているはずだ」

「それで?」

「その恐ろしいものも魅力と一緒に表現されていたと思う」

「ふーん」

「しかし、女性の恐ろしさが様々なものを駆動しているのも事実だろうという気がした。生身の女性を否定し、絵で描かれた絶対に毒を持たない記号を愛好するオタク的な価値観や、女性に差別的な復古の風潮も、背景に女性への恐怖感があるような気がするよ」

「じゃあ、アニメキャラの『俺の嫁』と言ったり、時計の針を逆回しにすれば問題は解決するのかい?」

「しないよ。どちらも単なる勘違い」

「なんで?」

「女性の恐ろしさは女性という存在そのものに内在するものであって、扱い方を変えてもそれは消えない。むしろ、変に抑圧すると爆発する可能性すらある」