「一つ気付いたことがある」
「それはなんだい?」
「同人でスピンオフなどを構想する場合、たいてい独自設定は最小として、解釈を競うことになる」
「画面に出たあのシーンの意味はこうだ……という解釈を競うわけだね」
「そうだ。その点では自分も大差はない。暗黙のルールみたいなものだ」
「なぜそんなルールがあるの?」
「その方が面白いからだ。明らかに矛盾した描写に強引に説明を付けようとした結果、意外で面白いサイドストーリーが浮かび上がってくることがある。それは誰も想定していなかった物語であるため、意外でしかも刺激的だ」
「じゃあ、新作はどうなんだよ」
「プロはリメイクに際して設定を変えてしまう。そうすると話の整合性は取りやすいが意外性が減りがちだ」
「それは何を意味するわけ?」
「創作の方法論と関連する。本当に何かを創作したいのならば、自分の頭の中から取り出すだけではなく、外部から何かを取り込まねばならない」
「どういうこと?」
「つまりだね。何の意味も無い単なるミスについて、そこに意味を付けていく行為には【外部】があるのだ。これは重要。全て頭の中から取り出すよりも、もっと創作性のあるものが出てくる」
「ヤマト2199に欠けているものだね」
「実はSBヤマトはまだマシ。なぜなら実写とVFXと尺の制約が【外部】として機能するからだ」
「2時間前後で収めるための制約すら、ここではプラスなのだね」
「その点でも、30分26話13時間も使えるヤマト2199はダラダラし過ぎていて【外部】に乏しい」
「方舟は?」
「あれは通常30分の1エピソードを2時間かけてやってるだけで、やはり強い尺の制約を受けていないよ。だから話の本筋と関係ないだらだらした描写も多い。まあ、本筋があればの話だが」
「なんてこった」
ところが §
「でもね。一部のプロは方法論が同人的なのだ」
「設定を変えないということだね」
「そうだ。たとえば、ガンダムのスタッフは劇場版でGファイターを消してしまったが、小林誠さんはソロモンエクスプレスでGファイターを生かした」
「確かに、設定を変えないで解釈を追加しているね」
「それから、妹ガンダムの作者の徳光さんの濃爆おたく先生などを見ていると、本当にガンダムの作画のミスまで肯定して解釈を付けていく方法論が駆使されていて、こっちの世界の人だと分かるよ」
「このカットのジムはビームライフルだが、次のカットはビームスプレーガン。別機体だっていちいち解釈を入れていくわけだね」
「そうだ」
「分かった。だから小林ファンであり、徳光ファンなのだね。でもどっちが上?」
「それは小林さんが上」
「なんで?」
「だってプロレスの細部は知識が無いもん。ガンダムもサクラ大戦も」
「ぎゃふん」
オマケ §
「でもね。プロレスは研究課題として重要だと認識している。そのうちに勉強したい」
「なんで?」
「プロ野球人気が長嶋引退後に低迷するが、そこで盛り上がったのがプロレスだからだ」
「ヤマトと同時代ってことだね」
「事実として、ヤマトにもプロレスっぽい要素が入っているケースがあると思う」
「避けて通れぬ道なのだね」
「ヤマトのバックグラウンド要素として、プロ野球を抑えてプロレスを抑えないとはあり得ない選択」