「笹川ひろしさんといえばタツノコ系作品で見慣れた名前だがWikiPediaの笹川ひろしの項目を見るとけっこう捨て置けないね」
古くからの同郷の友人で絵本作家の平田昭吾の誘いで、1979年9月にタツノコプロを退社し、西崎義展の東京動画へと移籍。個人事務所の笹川事務所も設ける。タツノコプロ退社後も引き続き『タイムボカンシリーズ』を担当するとともに、東京動画では『メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行』『宇宙戦艦ヤマトIII』を担当。さらに東京動画はシンエイ動画の下請けをすることとなり、『忍者ハットリくん』の総監督に就任した。それにより、Aプロ(東京ムービー)時代の色香を残していたシンエイ動画の作品に新風をもたらし、『忍者ハットリくん』の「ズコー!」などに見られる「ずっこけ台詞」を数多く生み出して子供達に人気を博した。1983年に東京動画が解散し、西崎義展との契約が終了した以降も、シンエイ動画での作品が仕事の中心となった。この頃の笹川は、週2、3本の監督の掛け持ちは当たり前で、さらに平田の勧めで児童小説を書くようになったので、多忙を極めた。
「どこがポイント?」
「【西崎義展との契約が終了】という部分。喧嘩別れしてないで、契約が終了するまでは契約を守ったわけだ」
「それで何か思うことがあった?」
「ヤマトIIIが持つ、主人公側の行動の自由を縛る感じは、キャシャーンやテッカマンに通じるものはあると思ったよ」
「確かに主人公が縛られている感じは凄いからね」
「それに、【デスラー帝国危機一髪だペッチャ】とか【シャルバート星の秘密だよゼンダマン】とか【ヤマト捕わる!! シリーズ初! 悪が勝つ】とか言われても違和感ないだろ?」
「あるよ」
オマケ §
「さて、問題は切っ掛けを作った【古くからの同郷の友人で絵本作家の平田昭吾】とは誰かだ」
「絵本作家じゃよく分からないね」
「まあ見たことある絵本を多く描いているのは確かだろう」
「それでおしまい?」
「いいや。実はのけぞった」
「なんで?」
「WikiPediaには【超電磁ロボ コン・バトラーV(1976年、企画)】って書いてあったよ」
「コンVなら君も見てたわけだね」
「コンVが持っている普通のアニメとはちょっと違う変なノリの一部はこういう人からの影響なのかもしれない」