2016年09月07日
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喜劇駅前弁当に出てくるサロ153-201とは何か

Written By: 川俣 晶連絡先

「ちょっと見落としていたがこれが凄いぞ」

「なにが?」

「サロ153-201は僅か数年間しか存在していない」

「一瞬で廃車されたの?」

「いや、改番だ。まずもともとサロ153-201は存在しない。改造で生まれた。WikiPediaから引用」

田町電車区付属編成は、通常12号車にサハ153形が組込まれるが、湘南準急での伊豆箱根鉄道修善寺への入線運用ではMG・CP付の200番台が必要とされた。また同時に一部列車で2等車連結も要求されたことからサロ153-202・203が新造されたが、車両需給の関係上1両は基本番台に搭載改造で充当されることになり、1960年に大井工場(現・東京総合車両センター)で改造が施工された。

サロ153-13→サロ153-201

「1960年に改造されてサロ153-13がサロ153-201になったのだね」

「そう。ここでサロ153-201が生まれたが、本当に生まれたのは番号だけ」

「車体はそれまでもあったわけだね。サロ153-13として」

「そうだ。その後1961年12月24日に東宝系で公開された喜劇駅前弁当に出演する」

「浜松駅だね」

「そうだ」

「それから?」

「しかし、また改番だ。WikiPediaから引用」

サロ110形 0・900・1000番台

153系のサロ153形からの改造車で、サロ165形の新造投入により捻出されたサロ152形による準急列車のリクライニングシート化にともない111・113系用とされたものである。

1965年 - 1968年にセミステンレス車体試作車の900番台(2両)を含めて63両全車が改造された。シートピッチは970mmで車掌室付きのため定員はサロ111形より1列分少ない60名、台車は空気バネのTR59形である。東海道本線東京口と横須賀線のほかに京阪神地区でも使用された。側面塗分線は当初153系時代のままであったが、のちに111系に合せている。

「それで?」

「サロ153-13からサロ153-201になったグリーン車が、更にサロ110化されてサロ110-13となり、改造でサロ110-1002になったようだ

「つまりなんだい?」

「側面に堂々とサロ153-201と書かれた状態というのは、1960年から1965~68年に限られ、10年も存在しなかったことになる。動く映像としてサロ153-201が残っている事例は非常に少ないのではないか」