2016年11月21日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2150 count

南武線府中~立川は、京王線であってもおかしくない経路?

Written By: 川俣 晶連絡先

「今昔マップを見ていて目から鱗が落ちた」

「今更なんだい?」

「立川付近の甲州街道の旧道だ」

甲州街道旧道

「ほとんど南武線に沿っていて、立川の間近で急角度で方向を変えているね」

「実は【甲州街道は八王子に至る道】という先入観が邪魔をして気づいていなかったが、旧道の甲州街道は立川にニアミスして日野橋を渡っている。その結果、南武線府中~立川は旧甲州街道の平行路線という状態になっている」

「つまりなんだい?」

「京王線が甲州街道の並行路線を意図する限り、谷保立川方面に伸びていくことは必然だったのだ。そういう未成線はあった」

「実際にはずっと南をまわって八王子だね」

「それは玉南電鉄を建設する際に、当初の予定と違う南回りルートを選択したからだ。でも、甲州街道の並行路線であるなら立川終点、あるいは立川経由八王子終点でもおかしくなったと思う」

「なぜそうしなかったのだろう」

「実は玉南より先に南武線が建設されていて、府中~立川間は競合してしまうからではないか。ついでに立川~八王子間は中央線と競合してしまう」

「南回りルートは地元の誘致活動もあったらしいけど、競合という面を考えても合理的だったわけだね」

「実際のところはどうか分からないけど、事態の成り行きが違ったら今の南武線府中~立川は、京王線だったかもしれない、という気はする」

下高井戸周辺史雑記