「見たぞ」
「感想はなんだい?」
「2つある」
「1つはなんだい?」
「凄く貴重な話をしているにも関わらず、あまり凄みを感じない」
「それはなぜだい?」
「1974年からヤマトを見ていて、リアルタイムに時代を経験しているからだろう」
「それは君だけの問題だ。というか、これはそういう古狸向けの映像ではない」
「まあそういうことだな。ヤマトがハイジの裏とか、別に改めて教えてもらう必要が無いのは、年寄りだけだ」
「では、もう1つの感想はなんだい?」
「映像がお宝自慢大会になっていた」
「デスラーの浴室も、ビーメラ星もあったわけだね」
「でも、今となってはただの自慢にしかなっていない」
「ふむふむ。それだけ?」
「AR台本のカット部分が見られると、いろいろと新しい知見が得られる可能性もあるな、と思った」
「シナリオ、絵コンテ、AR台本、実際の映像感の変遷を見ていくといろいろ分かるわけだね」
「本当はシナリオも出版されたものだけでなく、もっといろいろなバージョンがあったはずだ。でも、それを網羅するのはもう無理だろう」
「で、結論は?」
「羽原さん頑張れ」
オマケ §
「何か本筋と関係ないところで感想はあった?」
「うん」
「それはなに?」
「アニメは卒業しろという話に内田彩さんが大げさに驚いていたが、あえておいらとしては2016年の現状に対して言おう。アニメは卒業しろ」
「その意味は?」
「大人にならないことの口実にアニメの市民権を使うな、ってことだ。大人の視点でアニメを見て悪い話は無いのだがね。その前提は【子供のままではいられない】ということだ。どこかで一度子供時代を卒業しなければならない。それができていないオタクは割と目に付くからね。そんな連中はアニメを一度卒業した方が良い」
「それが君の主張だね?」
「いや、別に主張はしないよ」
「なぜ主張しないんだい?」
「40,50まで卒業できなかった人間はもう卒業なんかできないよ。何を言ったところでもう変われない。言うだけ無駄」
「で、一度アニメを卒業すると何が変わるんだい?」
「同じアニメが違って見えるかも知れないよ」
「一粒で二度美味しいわけだね」
「二度どころか年齢相応の視聴態度を持てば年齢を重ねるとどんどん印象が変化していく可能性がある」
「たとえば?」
「子供の頃は古代のダメさが嫌だったが、この歳になると古代のダメさが可愛いく思える。更に行くと、古代が直面した現実の重みも理解可能になってくる」
「沖田を主人公扱いしてしまったヤマト2199の食い足りなさの一端が分かるわけだね」