2017年06月23日
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中野から日大二高まで伸びるベルト地帯の正体を探る

Written By: 川俣 晶連絡先

「中野から日大二高まで伸びるベルト地帯が存在する」

「今でも痕跡が残ってるね」

「昔の地図だともっと太い明確なベルトが描いてある。これが何か気になった」

「調べたんだね?」

「そうだ。最初にネットで見つけたのは陸軍の引き込み線説」

「ふむふむ」

「しかし、そう考えると行き先がない。そんな線路を敷くとは思えない」

「なんてこった」

「次に聞いたのが水路跡説」

「なるほど。水路なら何も無い場所から始まってもおかしくないね」

「実際に自転車で走ってみた」

「その結果は?」

「確かに水路跡っぽいムードはあったが、高低差的にちょっと【?】が付いた」

「水は坂を上がれないわけだね」

「そうだ。じゃあ正体は何か。ともかく、もの凄く古地図にくっきりと形が残っているのだ。迅速速図にまでは描かれていないが」

「何かヒントは有った?」

「実は古地図を今昔マップWebで切り換えながら見ていてハッと気付いた。この場所を【陸軍用地】と書いてあるものが存在する」

「軍事目的の細い土地? しかし目的が分からないな」

「いろいろ調べてみると、どうも、以下の2つの目的が存在したらしい」

  • 幅30~50メートルの軍用道路が存在したらしい
  • 鉄道大隊(鉄道連隊の前身)の演習線の用地であったらしい

「演習線って千葉じゃないの?」

「鉄道大隊は1897年に中野に来て、1907年に連隊に昇格して千葉に行ってしまったらしい」

「つまり、千葉の演習線は1907年以降のものってことだね」

「そう。その前の段階で中野に何かがあってもおかしくない」

「演習目的なら、どこにも接続していないことはおかしくないんだね?」

「実用の線路なら演習に使えないからな」

「とりあえず現時点での結論は?」

  • ベルト地帯の正体は陸軍用地である
  • 目的は演習である
  • 線路は敷設されたり撤去されたりして、実用的に使用する引き込み線とは違うものである
  • 中野駅から陸軍施設への引き込み線は存在したものと思うが、それとは切り離して考えるべきだろう。もちろん、接続されていたことは十分に考えられる (接続していないと試運転の車両が入線できない)
  • が、接続されていなかったことも十分に考えられる (ゲージが違っていたら接続は無理)
  • 軍用道路説と、演習用敷地説は微妙に整合していない。今後は要調査である (鉄道大隊が千葉に行った後は軍用道路だったという解釈も有り得る)

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