2017年09月05日
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高井戸に工場が存在した紅梅キャラメル(本社は松原)

Written By: 川俣 晶連絡先

「【大勝庵 玉電と郷土の歴史館】の大塚館長から伺った話で最大のヒットは、松原にあった紅梅キャラメルだ」

「それはなんだい?」

「巨人の野球選手カードを付けたキャラメルで大手に勝負を挑んで一時は盛り上がったが消えた会社だ」

「それに何の関係があるの?」

「巨人人気の基礎を作った会社が松原にあったのは興味深い。しかも、玉電沿いらしい。だが本当に凄いのはその先だ。あとからネットを調べているうちにもっと凄い話に突き当たった」

「まさか」

第5回「キャラメルのクーポン」の巻より

紅梅製菓は昭和21年1月、世田谷区松原に創業した。社長は森田利作氏。本社工場は500坪で、キャラメルヒット後の杉並新工場は高井戸に2000坪を有していた。

「高井戸が出てきたね」

「そうだ。2000坪はかなり大きい。それが高井戸にあったとすれば、位置不明では終わるまい。これはどこにあったのだ?」

「なるほど。それが本質だね」

「しかし、謎も多い」

「どんな謎だい?」

  • WikiPediaでは【1954年(昭和29年)には操業停止】となっているが、停止してどうなったのか
  • WikiPediaでは【一部のカード(特に水原監督のカード)の出現率が非常に低かった】と書かれているが今どきのレアカードと比較してどの程度だったのか
  • 画像検索した当時の商品には、会社名として【紅梅製菓株式会社】と書かれているが文字資料には【東京紅梅製菓株式会社】と東京を関した記述も多い。なぜ2つあるのか
  • 商品名は、画像検索した当時の商品を見る限り【紅梅ミルクキャラメル】であるが、【紅梅キャラメル】という表記で語られている事例も多い。なぜか
  • 【紅梅製菓株式会社】の松原の本社工場の正確な所在地はどこだったのか
  • 【紅梅製菓株式会社】の高井戸工場の正確な所在地はどこだったのか
  • 【紅梅製菓株式会社】の存在は、高井戸、松原にどう影響したのか
  • 【紅梅製菓株式会社】の消滅の正確な経緯はどうであったのか

現在の推理 §

「取りあえず、高井戸工場は現在の山崎製パン杉並工場にあたる場所ではないかと推定してみた」

「根拠は?」

  • 敷地面積が2000坪ぐらいである
  • 山崎製パンのサイトでは昭和35年 4月 杉並工場竣工稼働 となっているが、それ以前から何かの施設が存在することを航空写真や地図から確認できる
  • どちらも食品関係である

「その推理は正しい?」

「さあ。決め手を欠くな」

「他に推定できる場所は?」

「現在のヤマダ電機と隣の建物のあたり。何か巨大な施設があったのは確かだがよく分からない。少し大きすぎる気もする」

「それも決め手を欠くね」

珍品 §

「ネット検索で発見したものがある」

「それはなんだい?」

「以下のページにある」

「その中に、【野球は巨人 川上選手 梅紅はルメラャキ】と表記された紙のバイザーの写真がある」

「梅紅はルメラャキ……って読めないぞ」

「おそらく、【キャラメルは紅梅】と書いてある。左右が逆」

「えー」

「昔は横書きを逆に書いたから、逆書きの横書きもあり得るが、通常順と逆順が共存しているのは興味深い」

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