2017年09月09日
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紅梅キャラメルの謎がいくつか解けたが謎も増えた

Written By: 川俣 晶連絡先

「世田谷中央図書館と世田谷区立郷土資料館に行ってきた。その結果、【さようなら紅梅キャラメル―6年間で消えたもうひとつの読売巨人軍 沢里 昌与司 東洋出版株式会社 初版1996年4月3日】を見ることができて、多くの疑問に答が出たが、新しい疑問も生まれた」

「分かったことを簡単に説明してくれ」

  • 紅梅には新と旧の2つの会社がある。旧紅梅は昭和22年に設立され昭和29年6月22日に不渡りを出して整理。新紅梅は昭和29年10月に再開し、昭和34年9月まで続いた。
  • 名称が変化している 紅梅食品(株)[昭和22年]→紅梅キャラメル(株)[昭和25年]→(断絶)→新紅梅製菓(株)[昭和29年] また関連会社に紅梅商事(株)[昭和25年設立]
  • キャラメルの名称は紅梅ミルクキャラメルである
  • キャラメルの販売開始は昭和24年である
  • 昭和26年。東京・杉並の桜上水(ママ)に杉並大工場が建設された
  • 昭和27年秋。公正取引委員会が問題視
  • 昭和28年。キャラメルの万引きグループが問題化
  • 昭和29年。射幸心を煽るとして不買運動。売上げが落ち込む。
  • 松原の本社工場の所在地は東京都世田谷区松原町四ノ三三六 (豪徳寺駅、東松原駅から歩いて行ける場所)
  • 日本初のプロ野球テレビ中継(巨人阪神戦)のスポンサーが紅梅である

「分かった主なことは?」

「こんなところだな」

  • 新旧の紅梅を通してキャラメルの販売は続いていたので、【昭和29年に不渡りを出して終わった】という記述と、【昭和30年以降に紅梅キャラメルを買った】という記述は矛盾しない
  • 新旧会社が2つあるので、会社が消えた経緯は2つ存在する。矛盾した説明が行われることがあるが、経緯は2つあるので必ずしも矛盾しない (WikiPediaに書かれている経緯は旧紅梅の歴史であり、新紅梅はまた別である)
  • 松原の本社工場の所在地は東京都世田谷区松原町四ノ三三六であり、旧住所が書かれた古い地図があれば場所を特定できそうである

「新しい謎とはなんだい?」

「これらだ」

  • 杉並工場(高井戸の工場)の方は場所がよく分からない。そもそも桜上水は世田谷区の地名であり、杉並区の地名ではない。もし、最寄り駅が桜上水駅の杉並区内ということなら、高井戸よりも下高井戸が想定される
  • 会社名の変遷に「紅梅製菓」が入っていないのはなぜか
  • 「東京紅梅製菓」という東京を冠した表記が多い理由もまだ分からない

「これが判明する可能性は?」

「杉並工場の位置は現地の誰かが知っている可能性がある。地元民として何かのタイミングで判明する可能性がある。残り2つは難しいな。この本の著者はこちらよりももっと深く調査しているが、その調査で出てこなかったとすれば自分が探り当てる可能性は低い」

感想 §

「珍しく(ママ)という表記を使ってしまったぜ」

「ミルキーはママの味だが、紅梅キャラメルはどんな味だろうね」

「古い桜上水の地図を広げたら目に入ったのは【三井牧場】の文字だ。ミルクキャラメルを作るためのミルクの入手には便利だったのかも知れない」

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