2017年10月31日
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道路建設問題で考える「なぜ七軒町商店街は下高井戸商店街になったのか」

Written By: 川俣 晶連絡先

「ハッと気付いた」

「何を?」

「大勝庵 玉電と郷土の歴史館の館長によると、瀬田商店街は環八の建設で分断されて消えたという」

「それで?」

「下高井戸はもともと宿場町であり、甲州街道沿いにいろいろな店があったはずなのだ」

「今は少ないね」

「そう。その理由は、首都高4号建設と甲州街道の拡幅にあると考えて良いだろう」

「瀬田商店街が環八の建設で消えたことと同じわけだね」

「そうだ」

「つまりなんだい?」

「実は、連動していたんだよ。今の下高井戸商店街が下高井戸商店街になるタイミングと、首都高の工事は」

  • 昭和の始めに商店街の母体としてつくられた「七軒町町会」は、その後「商和会」と名称変更し、さらに「商和会商店連盟」から「商和会」に戻った後、昭和47年「下高井戸商店街振興組合」を設立し、現在に至っています。(下高井戸商店街について より)
  • 1973年(昭和48年) 8月15日 : 永福出入口 - 高井戸開通 (首都高速4号新宿線より)

「下高井戸商店街振興組合設立の方が早いよ?」

「工事には時間が掛かるから、立ち退きが掛かったのは開通の数年前だと思う。時系列的にはあっている」

「つまり、工事の計画→立ち退き→元下高井戸商店街壊滅→下高井戸商店街振興組合成立→道路完成、という流れだね」

「そうだな。そうすると、現在の下高井戸商店街は旧七軒町商店街と旧下高井戸商店街からの移転組の混成商店街になるのかもしれない」

「でも地理的には、旧七軒町商店街に近いのだね?」

「おそらくそうだろうな」

「それはともかく、京王線下高井戸駅が杉並区下高井戸に無いのは最初からなんだね?」

「おそらくそうだ。道路工事は関係ないだろう」

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