2018年04月08日
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杉並郷土郷土博物館分館・特別講演「現代に伝えたい狄嶺の魅力 その時代と人物像」

Written By: 川俣 晶連絡先

「帰農行ってきた」

「は?」

「じゃなかった昨日だ」

「帰農って何だよ」

「昨日のテーマの一つ。文化人が農業に帰ること。1910年代~20年代に流行ったらしい」

「それで、行ったらどうだった?」

「行列ができていてびっくりした。定員20名で整理券が確か22番」

「整理券の配布開始に間に合うように行けよ」

「行ったよ。整理券の配布開始時間に。そうしたら22番だよ」

「えー」

「補助椅子で聞いたが、おそるべし」

「なぜ人が集まるのだ?」

「それは分からない。江渡狄嶺人気なのか岩崎正弥氏の人気なのか良く分からない」

「何も分からないの?」

「いや、分かったことがある」

「それはなんだい?」

「【杉並の偉人】という視点で見ている人や、昔の文化人という視点で見ている人はそもそも興味の持ち方が違う」

「君の立場の視点は?」

「高井戸の郷土史だからね」

「主語が違いすぎる」

「そう、杉並の偉人として見ていると、どんな有名人と交流があったのか、どんな凄い思想があったのかがメインになる。しかし、こちらの視点から見ると地域住民にどんな影響を与えたのかがメインになる」

「かなり水と油のように違うね」

「違いが強く意識された時間であった。興味深い」

オマケ §

「文化人の帰農は現在でもしばしば出てくる問題だな」

「たとえば?」

「おもひでぽろぽろというジブリの映画な。あれなんか、まさに帰農願望が表れた映画だろう。ジブリ方面には隠れた帰農願望があるのだと思うよ。でも、文化人の帰農は失敗する事例が非常に多かったそうだ。だから、ああいう思想はインチキ臭い」

「えー」

「だからさ。田舎で農業やって自足自給……というような生活に憧れる文化人は消えてなくならないのかもしれない。それは江渡狄嶺の時代から何も変わっていない」

「でも無理があるわけだね?」

「相当根性が座っていないと実現はできないだろう。たぶん」

「狄嶺の場合は?」

「自分の手で農業をするよりは、自分の三蔦苑にいる多くの者を働かせる大規模農業の世界に移行していく。この人はセンスがあったのだと思う」