2018年06月14日
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深大寺周辺水路跡と調布市の水路調査の問題

Written By: 川俣 晶連絡先

「深大寺周辺の水路跡について語っている複数のサイトを見たが、どれも物足りなくて困った。自分が知りたいのは、自分が発見した水路跡らしき箇所がどこに接続されていたのかだが、そこを水路跡とすらしていなかった」

「それでは物足りないわけだね」

「仕方がないので、ネット外に資料を求めた」

「あったの?」

「どうも、複数のサイトにおいて深大寺周辺の水路跡の典拠となっている本が【調布の古道・坂道・水路・橋】らしいと知り、世田谷中央図書館まで行って見てきた」

「それでどうだった?」

「残念ながら、ネット上のサイト群の典拠である以上、物足りないことに変わりはなかった」

「物足りない最大の理由はなんだい?」

「この本、ほとんどが古道の話。水路の話はほとんどオマケ程度。実は、不確かなものは掲載していないとまで書かれている」

「なるほど。最初からそれは物足りない資料なのだね」

「そうだ。では、物足りないことが最初から放置されていたのなら、平成初期の本からずいぶん時間が経っているから、再調査は行われているだろうかと思って、質問するために調布市の郷土博物館まで行ってみた」

「それでどうだった?」

「まとまった調査は行われていないそうだ。まあ、新選組、映画の街、調布基地、遺跡のような大きなトピックが目白押しなので、水路まで手が回っていないことも理解はできる。実際、手が足りないと言っていた。史郷会的な何かの組織が調べているかも知れないと言っていたが、うっかり正確な名前を忘れてしまった」

「ダメじゃん」

「しかし、調べてもそれっぽい資料は浮かんでこないし、取りあえずは頭の片隅に入れて進むしかない」

「つまり、まだまだやることは多いわけだね」

「そうらしい。ともかく、深大寺周辺には水路に関する謎が多い。ネット上にしたり顔で【こうなっている】と水路の線を引いているページはいくつかあるが、あれらは物足りない」

問題の所在 §

「なぜ物足りなさは発生すると思う?」

「原典となっている資料の1つであろう地図は今昔マップon the webで閲覧できるが、それは参考にはなるが完全にはあてにならない」

「理由は?」

「2つある」

  • 全ての水路が表記されているわけではない。おそらく主要水路のみである
  • 水路は時代とともに変化するので、ある地図に描かれていないからといって、無かったとは断言できない

「君は何を知りたいんだい?」

「自転車で現地を走り回って発見した水路跡の断片っぽい場所の解釈だ」

「水路跡とは断言できないわけだね?」

「できない……が、連続あるいは不連続に細長い空き地が連続していると水路が存在した可能性は上がる」

「それだけ?」

「ともかく発見した断片の数が多いので、それらの全てが空振りとは考えにくい」

abcdefghi

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