2018年10月09日
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井の頭線1900はどういう経路で永福町まで運ばれたのか

Written By: 川俣 晶連絡先

「レイル11号を見せていただいたが66pに興味深い記述があった」

「どんな記述だい?」

レイル11

「ここに、井の頭線の1900は新宿貨物駅から甲州街道を通って永福町まで運んだとある」

「それはおかしいよ。永福町の車庫は甲州街道に面していないよ」

「その通りだ。しかし、そもそも新宿貨物駅から最短ルートで甲州街道に入ったのかも怪しい」

「なぜ?」

「国鉄をまたぐ陸橋を越える必要があるからさ」

「なるほど」

「実は割と謎は多い」

  • どこの工場からどういう経路で運んだのか
  • 新宿までは国鉄の線路で運んだと思われる(線路の幅は同じ)。しかし、自走したとは考えにくい。どんな機関車で牽引したのか。連結器は大丈夫だったのか
  • 新宿貨物駅で降ろした後、陸橋で国鉄線路の上を通ったのか。それとも南にまわって踏切経由で線路を越えたのか
  • そもそもどういう経路で甲州街道に入ったのか (最短で甲州街道に入る経路は少し戻る感じになる)
  • 甲州街道から永福町に抜ける経路はどれか。そもそも、どこで甲州街道を曲がったのか
  • 荒玉水道、井の頭通りは水道道路だから重量制限が存在するかもしれない。そこは通れたのか。荒玉水道に制限はあるが、井の頭通りの制限は見たことが無いので、存在しないのかも知れない
  • 明大前で甲州街道が井の頭線をまたぐ陸橋は通ったのか通らなかったのか (もし通っていれば、世に珍しい井の頭線どうしの立体交差になる)
  • 永福町では、単純に車庫に搬入したという解釈で良いのか

「もし、『永福町では、単純に車庫に搬入した』という解釈で良いなら、井の頭通り経由となる。そうすると、松原交差点で井の頭通りに入り、明大前の陸橋は通っていない、という解釈でスッキリしそうだ。井の頭通りを電車が通っても良い……ということならな。荒玉水道まで行かないで終わるから、荒玉水道の重量制限は関係ない」

「でも、証拠がないんだね?」

「ないねえ。それに、新宿でどうだったのかも分からない」

「古い鉄道雑誌に情報はないの?」

「鉄道ファン図書館に初期の鉄道ファンがあるのだが、創刊の少し前の出来事なのでぜんぜん記述が見つからない。まあ間に合ってもこんな地味な記事が載るか怪しいが」

「鉄道ピクトリアルだと創刊が間に合っているっぽいね」

「見るチャンスがあれば見てみたいがね。こんな地味な情報が載っているかなあ」

オマケ §

「最後のロープで車両を引っ張った話も面白いのだけどね」

「代田連絡線の初期だね」

「そういう無駄なエネルギーを使うから戦争に負ける。日本は自滅。SLに固執しすぎてディーゼル機関車がなかったから、いざというときに困る」

「SLはすぐには走れないわけだね」

「かなりの支援設備と準備時間を要する。ディーゼルならすぐ動く」

「燃料がないんじゃない?」

「そもそも石油がないと日本が滅びるから始めた戦争なのに、ろくに輸送路を守らないから石油が枯渇する。それも自滅の一つ」

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