2019年03月01日
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なんと永福町あたりまで出てくる昭和13年の「歩け市民の健康路 東京市中心のハイキング」

Written By: 川俣 晶連絡先

「こ、これは! なんて凄いんだ!」

「なんだよ」

「実は、【歩け市民の健康路 東京市中心のハイキング 東京鉄道局 東京史】という冊子を手に入れた。昭和13年の本らしい」

歩け市民の健康路 東京市中心のハイキング

「それで?」

「これ、パンフレットみたいなもので奥付もなくて、厳密な意味での本ではないみたいだけど、全部で30ページもあって本として見ても良いぐらいのもの。都立図書館の串刺し検索でも引っかからないし、CiNii検索でも出てこない。かなりレア度は高い。ちなみに、日本の古本屋の検索では1件のみヒットしたがその1件がおいらが買ってしまったからもう無いよ」

「具体的に何が凄いんだい?」

「実は、永福町駅から大宮八幡、柏の宮園を経由して井の頭公園駅まで行くコースが掲載されている」

大宮八幡・井の頭コース

「永福町から歩くコースがハイキング!?」

「当時はハイキング扱いだったらしい。大興奮だよ」

「地域へのイメージが変わるね」

「それから松陰神社方面のコースの地図には、【至下高井戸】という道が描かれている」

「なるほど。このあたりまで既に当時はハイキング圏内なのだね」

「更に言えば、全文は【銃後の人々よ】で始まり、目次の脇には【傷痍軍人には席をゆずりませう】と書いてあって、本当に戦時下の本だと分かる。ハイキングの目的は歩いて国土を知ることだと書いてある。また、無駄遣いは望まれない世相なので、足代一円以下という条件で紹介したとも書いてある」

「昭和13年は既に戦時下なんだね」

「対米開戦していないだけのことだ」

「でも、ハイキングという言葉を使っているのは、対米開戦前だってことだね」

「まだハイキングは敵性語になっていないようだ」

オマケ §

「他に何か話題はあるかい?」

「野猿峠が目当てで買ったものだが、野猿峠は載っていなかった」

「なんてこった」

「でも平山は出てきた。豊田から現在の平山城址公園にあたる場所を経由するコースも掲載されていた。野猿峠ハイキングコースとは似ても似付かない経路でこれも大収穫だ。更に、これの地図には調査中だった【多摩カンツリイ倶楽部】が掲載されていて、大収穫。凄い凄い。たった1冊で山のように情報を提供してくれる」

「他には?」

「中河原から多摩川を渡って南武線の駅まで行くコースとかね。中河原から聖跡、百草園を経由して高幡不動まで行く経路とかね。凄く面白いよ」

「大収穫だね」

「古書店で五千円以上したけど、高かった気がしない。ちなみに、オークションでも同じものをゲットしたのでそのうちに到着する見込みだ。到着したらバージョン違いを調べられる」

「2冊も買ったのかよ」

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