2019年06月02日
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井の頭公園のプールは3つあった?

Written By: 川俣 晶連絡先

 この記事は以下の書籍の【井の頭公園のプール】の章の抜粋です。有料の本に書いておくと読まれない可能性も高いが勿体ない、本の宣伝にもなるという理由でこの章のみここで無償公開します。

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井の頭公園のプール §

 帝都電鉄(上)p26に収録されている帝都線全盛期(詳細不詳)の井の頭公園の案内を見ると興味深いことが分かる。なんとプールが2つ描かれているのだ。しかも1つは駅前である。

帝都電鉄(上)p26

 駅前の方は【井の頭遊園子供プール】であり、長さ50メートル幅20メートル深さ1メートルとなっている。左上の方は【井の頭市営プール】であり、長さ25メートル、幅15メートル、深さ1~2.5メートルとなっている。

 このうち、【井の頭市営プール】の方は割とすぐ分かった。以下のページの記述が確かなら【1933(昭和8)年、西側の弁天堂の近くに25mのコンクリート製の水泳プールが開設されました。】【1983(昭和58)年に廃止、2年後に 撤去されたそうです。】とあるのがこれだ。

 ところがもう1つの【井の頭遊園子供プール】が良く分からない。

 このページの記述では子供用のプールに言及されている。

1921(大正10)年、井の頭池の東端、桜ブライダルに一番近い瓢箪橋付近かと思われますが、飛び込み台が設置された天然池プールが開設されました。更衣場や児童用の徒歩池も設備されていたそうです。ですが背の高い木に覆われていたために日光があまり当たらず、しかも湧き水なので水温が低く、真夏でも泳げる時間は日中の2~3時間に限られていたそうですが、それでも繁盛。理由は、東京市営公園プールの第一号で珍しかったのかもしれません。

12年後の1933(昭和8)年、天然池プール廃止、同年西側の弁天堂の近くに25mのコンクリート製の水泳プールが開設されました。

 しかし、【井の頭遊園子供プール】は四角形で天然池ブールではない。また、市営プールと入れ違いに廃止されたとすると両方記載された地図と矛盾する。

 実際の地形から行けば、駅と池の中間に長さ50メートル幅20メートル程度のプールを建設できる土地は存在するので、この【井の頭遊園子供プール】は実在した可能性が高いと考える。

 つまり、井の頭にあったプールは2つではなく3つだったのではないか。つまり、以下の3つだ。

  • 【子供用天然池プール】大正10年~昭和8年
  • 【井の頭遊園子供プール】昭和8?年~?年
  • 【井の頭市営プール】昭和8年~昭和58年

 3つは同時に存在していないから、同時に存在していたのは最大2つまでである。

 おそらく、【子供用天然池プール】の後継が【井の頭遊園子供プール】である。

 その理由は、【井の頭遊園子供プール】の宣伝文にある。

 この宣伝文では【深さが1メートルしかなく安全である。保護者は寝ていても良い】と書かれている。逆にいえば、天然池ブールは深いところがあり安全ではなかったのだろう。だから保護者は絶対に寝ることはできなかったのだ。

 それから、長さ50メートル幅20メートルというかなりサイズが大きいプールが建設されたことから考えて、井の頭公園の人気もかなり高かったものと考えられる。(既に天然池ブールがあったことから考えて根拠なき見込みで作ったとも思えない)

 帝都電鉄(上) p26には【東京市民の水源地歩きは信仰に近い】との記述もあり、神田上水の水源地である井の頭の池の人気も高かったのだろう。

 しかし上記ブログ主からも見落とされていることから考えて、長続きはしていないと考える。このあと、戦争は近くなるし、遊興への風当たりは強くなるし、帝都電鉄の経営も傾いて小田急に買われていくのである。

 一方で市が運営する【市営プール】は安定した運営が行われていたのだろう。戦争を乗越て何と昭和50年代まで存続する。

  以上、以下の書籍から【井の頭公園のプール】の章のみ抜粋。

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