2019年08月27日
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玉川上水下高井戸分水研究史上最大の激震か・向陽橋合流説の根拠らしきものが見つかる

Written By: 川俣 晶連絡先

 昭和40年の杉並区の地図をヤフオクで競り落としたところ、見てひっくり返りました。

 現在は痕跡すら残っていない水路が多数掲載されています。玉川上水は開渠、神田川は改修前です。それていで地図の内容は高度成長期以後の戦後クオリティです。古い地図を改修して使っているわけではありません。

 中でも最も凄かったのは、向陽橋付近の多数の水路が掲載されていたことです。

 それらは想像を絶するものでした。

 そして、玉川上水下高井戸分水から向陽橋付近に抜けられる水路は確かにありました。

昭和40年

 しかし、これをもって玉川上水下高井戸分水は向陽橋付近で神田川に落ちていたと言い切るのはためらわれます。途中で神田川の支流に合流し、そこから神田川に落ちる流れがあっただけで、下高井戸分水の水が向陽橋付近で神田川に落ちることもあったでしょうが、落ちないで支流を流れる水もあったはずです。

 そもそも、最近の研究ではこのあたりは【下高井戸分水という名前ではない】という方向に傾きつつあります。

 ですから、向陽橋合流説は正しかった、ではなく、向陽橋合流説の根拠らしきものが見つかった、と言いたいと思います。

まとめ §

  • 玉川上水下高井戸分水から向陽橋付近で神田川に合流する経路はかつて存在した
  • その経路の多くは現在痕跡が存在しない (神田川の流路改修時に整理消滅したものと思われる)
  • その経路は昭和40年の杉並区の地図に記載されている
  • 向陽橋合流説には根拠らしきものがある
  • 途中で神田川の支流に合流しているので、向陽橋合流説は正しかったとも言いがたい
  • 結局、良く分からない

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