ハーロック像は複数あって一定しないことは既に指摘した通り。
その中で最も原点に近いのは松本コミック版ハーロック。
次に原点に近いのが映画【わが青春のアルカディア】ではないかと思います。
問題は、松本コミック版ハーロックが未完か否かです。
もう1つは、映画【わが青春のアルカディア】は【ここで終わっていれば感動的なのにダラダラ続く】という批判です。
実はこの2つは連動していると気づきました。
一般的なハーロックの理解はこんなところでしょう。
- 地球からのお尋ね者だが本当はいい人
- 本当は地球を愛している
- いざとなったら助けてくれる
実際、こういう解釈のハーロック作品はいくらでもありあます。
しかし、実際の松本ハーロック作品を見ていると、松本コミック版にせよ、映画【わが青春のアルカディア】にせよ、以下のような特徴が見て取れます。
- 唾棄すべきクズは地球にも侵略者にもいる
- 尊敬すべき相手は地球にも侵略者にもいる
- ハーロックは地球の間違った秩序から弾き出された被害者
つまり、松本ハーロックは地球対侵略者の戦いを描くための作品ではない、ということになります。事実として、映画【わが青春のアルカディア】の中で、酒場の喧嘩では地球人もイルミダス人も対等にMPに検挙される側です。
ああいう感覚はどこから来るのか。
実は最近の昭和20年代研究から分かってきたのは、進駐軍は勝者であって勝者ではないという事実です。確かに進駐軍は勝利者の権利として進駐してきて、圧倒的に豊かな強者でありますが、個々の兵士はただの人です。命令で日本に来ているだけで、オフの時間は別に戦勝国を背負っているわけでもありません。そうすると、趣味でUコン機を飛ばしたりするのも当たり前。日本で同じ趣味の仲間と交流するのも当たり前。趣味の仲間は敵ではないのです。
鉄道模型でも、初期の鉄道模型趣味の図面集には大量のアメリカ型車両の図面と英語の文字が含まれますが、これは進駐軍のマニアが買うことを想定したものでしょう。しかし、単純に儲けるためだけにやったとも思えません。やはり、日米のマニアが集まってこういう図面集を見ながら日米の車両についてわいわいやるケースがあったのだろうと思います。
おそらく、この感覚をベースに松本零士は、【敵にも同じ思いを共有する同志はいる】という感覚を描こうとしたのではないかと推定します。
しかしながら、割と世間の多数派はこれが分かりません。
単純に侵略者は悪としか描けないハーロック像が多いのはそのせいではないかと思います。
とすれば、松本ハーロックの本来の物語は、魂を共有する誰かを捜す旅の物語であり、地球を救う物語ではありません。とすれば、ハーロックが見つけたのはトチローやエメラルダスや他のアルカディア号の乗組員だけでなく、雑多な様々な異星人達も含まれます。ゾル兄ちゃんもラミーメもゼーダも、そしてラフレシアもハーロックが見つけ出した人物です。
アルカディア=理想郷は、そういう者達がいる世界だったのではないか、という気もします。