映画、イノセンスに関して1つ思いついたので書いておきます。
この映画で描かれた出来事は、ハイテクを利用した一種の児童ポルノ事件と言えます。ここで、的確に児童ポルノが問題にされるセンスは秀逸だと思います。国内しか見えていない人にはさっぱり分からない懸念はありますが。
それはさておき。
映画の趣旨を完全に理解したという自信がない状況で適切なアイデアと言えるかどうか分かりませんが。
この映画では、「児童」→情報を取り出す→「セックス機能を持った人形」→販売→「ご主人様の夜の道具」という経路が示されます。つまり、人間であったものを夜の道具に使うという極悪な犯罪が示されているわけですが、これを裏から見ることもできます。つまり、「美しき人形として夜の道具に使われたい」というマゾ的願望を持つ人達がいるとして、彼らから見て、この経路に自ら入り込むという妄想は甘美なものかもしれない、と言うことです。
その場合、あくまでビジュアルを規定する身体は人形の身体が担うことになるため、実際の性別、年齢、体格は不問となります。現実には不細工な男であるが、美しい女の子になって犯されたい、などという変態的な妄想にもだえるような人であれば、この経路を通して自らそれを実現しうる可能性をイメージできるのかもしれません。
なぜそのようなアイデアを書くのかと言えば §
予告編に以下のような文字が入ります。
退廃の美学か、現代を生き抜く新たな哲学の誕生か
ここでいう退廃の美学という言葉が、少しピンと来ないところがありました。しかし、上記のようなアイデアを思いついた時点で、「ああ、これは退廃の美学と言えるかもしれない」と納得することができました。
まあ、自分が納得しただけで、こういう解釈が適切であるかどうかは全く分かりませんが。