こういう記事を見ました。
幼稚なセキュリティ研究者こそがネット社会で最も迷惑な存在 ACCSの久保田専務理事が語る個人情報流出訴訟の背景(後編)
office氏によって個人情報を公開されたACCSが訴訟を起こす背景に関してのインタビュー記事です。
ここで特に面白いと思ったのは、結びの以下の文です。
他者の人権や社会的環境のことは視野になく、単純に“セキュリティ”のことしか考えることのできない幼稚な研究者こそ、ネットワーク社会で最も迷惑な存在ではないだろうか。
これは前に私が書いたどちらも迷惑な存在? 「セキュリティ・ザル」と「セキュリティ・猿」で、セキュリティ・猿とした対象と根底で共有される部分があるように思われました。
ある種の問題を解決するために、別の深刻な問題を発生させているのに、そのことに無自覚であるような人達は非常に迷惑な存在です。そして、世の中には、そういう迷惑な人達が少なからずいるのも事実です。
更に、彼らの言葉がしばしば当事者ではない人達(時には当事者にさえ!)説得力を持つ状況もあります。実は、真の問題はそこにあるような気がします。たとえば、「幼稚なセキュリティ研究者こそがネット社会で最も迷惑な存在」と言ったときに、それが理解できない人達が世の中にいくらでもいます。自分が迷惑な存在だと理解できないセキュリティ・猿が多いのと同じようなものでしょうか。
とりあえず、まだしばらく、世の中は良くならないような気がしてちょっと悲しいですね。
余談 §
その背景には、他人は自分と同じ意思・感情・思考を共有しているわけではない、という、以前個が確立していないと書いた問題が根底にあるような気もします。個が確立していないことはコミュニケーションの主体としての資質を欠くことになるため、協調や妥協を得ることが難しく、いかに正義を主張しようと、社会の中では迷惑な存在と見られたりします。
(というよりも、個が確立していないからこそ、いともたやすく無邪気に正義を主張できる、と言った方が良い?)