アキハバラ奇譚ズ 第3話 『あ、キハ、バラ奇譚』より続く
「編集長! 今度こそ素晴らしい奇譚を発見しました!」とボケ太が編集部に息を切らせながら飛び込んできた。
「また電車の話ならただではおかないぞ」
「やだなぁ。あれは気動車ですよ。電気で動いてないものを電車というのは都会人の悪い癖。あ、でも、昔は電気式気動車ってのがありましてね。こいつは自分で発電した電気でモーターをまわす方式だから……」
「電気でも人力でも何でもいい!」と私は怒鳴った。「そんな話題じゃ駄目だと言っているんだ」
「そんなことは分かっています」とボケ太はえっへんと胸を張った。「今度は、趣味に目が眩んで仕事の本分など忘れちゃいませんよ。正真正銘のびっくりする話。題して、『秋は薔薇奇譚』です」
「薔薇がいったいどうしたんだ?」
「秋のある日にですね。アキハバラの街は薔薇に溢れ、それに引き寄せられて多くの女性達が集まるそうです」
私は、これは記事になると思った。何しろ、アキハバラは電気街で有名だ。それが花で溢れるなど、ちょっと想像しがたい。しかも、そういう街なら集まる客も男が多いだろう。そこに女性が集まるというのも、かなり特異なことに思えた。
「それで、誰が薔薇をアキハバラに持ち込んでいるんだ?」
「本屋です!」
「本屋? 本屋とは本を売る本屋のことか?」
「もちろんです。駅本屋のことではありません! あ、駅本屋とは駅にある本屋のことではなく、駅の主要な施設が入っている中心的な建物のことです。念のため」
「趣味は忘れろ」私はデスクの下から足を延ばしてボケ太の足を蹴り飛ばした。
なぜか嬉しそうな悲鳴を上げてボケ太は飛び上がった。
「それで、いったいどんな本屋が薔薇を持ち込んでいるんだ? アキハバラにも大きな本屋があるのか?」
「ええ、大きな本屋もありますが、薔薇を持ち込んでいるのは裏通りの小さな本屋が多いですね。ああいえ、小さくない本屋もあるかな」
「大きいのか小さいのか、はっきしろ」
「つまり、普通の本屋ではなく、特殊なジャンルを扱う特別な本屋ということらしいのですよ」
「特殊な本屋? 園芸の専門書だけ扱うとか? いや、ジンボウチョウならともかく、アキハバラにそんな本屋があるのか?」
「ははは。アキハバラに園芸書の専門店なんてあるわけないじゃないですか」
「じゃあ、何を扱っているんだ?」
「なんかこう、薄っぺらくて、えらく高くて、表紙が素人臭い本ですよ。中身が見えないように売っているから、どんな内容か分かりませんけど」
私は、それがどんな本なのかピンと来なかった。もしかしたら、アキハバラでは我々が知らない特殊な本を売っているのだろうか。出版人のはしくれとして、とても気になった。
私はボケ太に命じた。「今すぐアキハバラに行って、その薄っぺらい本を2,3冊買ってこい」
「そう言われると思って買っておきましたよ」とボケ太はニコニコしながら薄っぺらい本を私に差し出した。
表紙には、下手くそな素人絵で裸の男の子が描かれていた。素人臭いどころではない。これは素人だ。
私は悪い予感を感じながら、ビニールを破って中を見た。
内容は……。女性的で素人臭いラインで描かれた男色マンガだった。
すぐに、私はピンと来た。
半年ぐらい前に、従兄弟から愚痴を聞かされたからだ。従兄弟の娘がはまっているという女性向け男色同人誌の世界。膨大な女性の隠れファンがいて、即売会に何万人も押しかけたりすると言う。
そして、私は大きな誤解に気付いた。
薔薇とは男色を示す言葉。花ではなかったのだ。
「ボケ太よ」と私は部下に言葉を投げかけた。
「はい!」とボケ太は嬉しそうに答えた。
「つまり、秋のある時期に、アキハバラの路上で同人誌を売るイベントが行われると。つまりはそういうことか?」
「あれ、最初からそう言ってるつもりですけど?」
「同人誌なら、同人誌と、もったいを付けないで最初からそう言え! 大規模な同人誌のイベントなら大手のマスコミも取り上げるから、うちじゃ取り上げないんだよ」私の蹴りが決まって、ボケ太の身体が軽やかに宙を舞った。
「もう一度取材に行ってこい」と私は出口をまっすぐ指さした。
「うちの雑誌も、やおいのお姉さま方に読者を拡大する良い機会だと思ったのになぁ」と宙を舞ながら他人事のようにボケ太がつぶやいた。
アキハバラ奇譚ズ 第5話 『荒木羽場奇譚』に続く
(遠野秋彦・作 ©2004 TOHNO, Akihiko)
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