2003年11月12日
川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編 total 3311 count

四季 夏 森博嗣 講談社

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日、病院に行ったとき、行き帰りの電車の中と待ち時間に読もうと思って持ち出しましたが、既に半分ぐらい読んでいて、あっという間に読み切ってしまいました。

 それはさておき、内容的にはちょっと意外な感じを受けました。「すべてがFになる」に通じるなら、こういう展開になると言う必然性も理解はできますが。それでも、けっこう意外という感じを受けました。

 何が意外なのか考えてみると、結局のところ、四季というキャラクターについて、あまりに頭が良すぎるという側面と、あまりに当たり前の14歳の感性が同居しているように書かれているところかな、と思います。頭が良いことは当然予測されたことですが、14歳の感性が四季の行動を強く拘束している状況はちょっと予想外だったという感じでしょうか。

 異性を意識することが14歳らしい、ということもありますが、それよりも印象深いのは、社会を他人事のように見る冷静な視線ですね。これが、とても14歳的だと思いました。人間を見る四季の意識には、生物学的な視点しかありません。社会的な視点が欠落しています。そういう感覚は、実際に自分の過去を振り返ってもあったように思います。

 そして、明らかに頭の良い人間ならしないであろう賢さに欠ける選択をしていますね。それは親殺しが賢くないという意味ではなく、健康な子供を得るにはリスクが多い近親相姦を、あまりリスクを検討することなく選択しているあたりに見られるような気がしました。

 こういう、頭は良いが賢くない状況を描いてきた、というのが少し意外に思えた、ということもあります。

 それはさておき、もしかしたら、四季は「社会的ひきこもり」の1つの類型にはまっているかもしれない、という印象が思い浮かびました。「社会的ひきこもり―終わらない思春期」(斎藤環 PHP新書)では、社会的な万能感を取り除くことができないことがひきこもりにつながるようなことが書いてあります。(前に読んだ本なので、かなりいい加減な解釈です)。この四季というキャラクターは、頭の良さによって、万能感を取り除くことに失敗しています。(犀川や瀬在丸紅子は成功している。そして、西之園萌絵も犀川によって万能感を上手く破壊されていると見ることができるかも?)。そして、四季はまさに「ひきこもり」的に閉鎖された空間に閉じこもることを望みます。

 更に言えば、ちょっと前に読んで感想も書いた本「OK?ひきこもりOK! 斎藤環 マガジンハウス」に可能性が示唆される、自ら意識的に引きこもることを選び、余人になしえない創造的な仕事をする「引きこもり」に該当するかもしれない、ということを思いました。思っただけで、本当にそうかどうかは分かりませんが。

 というわけで、この先何が起こるのかおおむね予測はできますが、おそらく出るであろう「秋」と「冬」も期待したいと思います。