つい先日、日本のXML関係者の飲み会に出てきました。
そこで起きた出来事ですが。
UNIXミーハーぶりを発揮したところ、あのRelaxerで有名な浅海さんから、「川俣さんはWindowsの人だと思ってました」と言われてしまいました。まあそこまでは良しとしましょう。別に、FreeBSDの布教活動をやってるわけでなし。書いている原稿は、主にWindows系の内容が多いのも事実ですから。まあWindows信者のように思われるのも困った偏見の一種といえますが、そういう感想を持つことは当然あり得ることだと思います。
しかし、もう1つの言葉は、それとは少し意味合いが違います。
私がWordに関して、重いし、XML対応も使えないXML Schema必須だし、あんなものは使ってない、と発言したところ。WindowsユーザーだからWordを使っているとばかり思っていた、と浅海さんに言われてしまいました。
これは由々しき問題ですね。
常識的に考えれば、OSとアプリは、イコールで結びついたりはしません。汎用OSであれば、アプリは利用者が選択するのが基本であって、それができればければ汎用OSではありません。もし、アプリをOSにバンドル、という状況があるとしても、それを使わないという選択も可能であり、イコールで結びつきません。まして、WordはWindowsにバンドルされていません。
実情を見ても、Windowsを使っていることとWordを使っていることがイコールで結び付けられるような状況は、私が知る限りありません。むしろ、私が知っている有力なWindowsユーザーの過半数はWordが嫌いです。なぜ、彼らがWordをインストールしているかと言えば、「Word形式で送っても読めますか?」という質問抜きにWordのファイルを送りつけられるケースがあまりに多いために過ぎません。
このような現状が、非Windowsユーザーにまった伝わっておらず、事実に即しない虚像が勝手に一人歩きしていて、それゆえにWindowsユーザーが一方的に馬鹿にされる状況があれば、これは由々しき問題だと思います。
さて、この問題を、どう受け止めれば良いのでしょうね?