2000年10月16日に、本サイト旧館にオータム写真館・京王線新宿付近廃線跡をたどるというコンテンツを掲載しました。これは、京王線の新宿付近の地上線路跡地を撮影してきたデジカメ写真を公開するページです。
しかし、これに含まれる「終着駅・四谷新宿」の位置の推定が間違っていました。そのことを指摘するメールが驚くほど相次いだのです。なんと公開後の4年間に2件も! たった2件と馬鹿にしてはいけません。このような趣旨のページで2件は驚くほど多い、と言えるのです。
これほど注目度が高いとあっては、こんなことに興味があるのは私ぐらいでどうせ誰も見やしないのだ、などと言って捨て置く訳にも行きません。というわけで、このコンテンツを作成しました。
2005年7月20日追記 「障害報告@webry」さんよりのトラックバックについて §
「障害報告@webry」さんの記事「検索フレーズ」よりこのコンテンツに来ているトラックバックについて。トラックバックの使い方として特に問題はないと思うのですが、トラックバック元記事を見ても趣旨が分かりにくいので、私が気付いた範囲で補足しておきます。「障害報告@webry」さんは、調布付近の京王線の廃線後を辿った京王旧線探訪のような写真集も公開しています。そのような興味から、このページへのリンクを張ったものと思います。このページを見ている読者は、上記写真集にも興味を持つ可能性があると思いますので、補足しておきます。
2008/09/13追記・感謝 §
きむらたかし@三田用水より参考になる地図を拝見させていただきました。ありがとうございます。駅の位置はこのあたりで間違いないようです。
経緯・こうして再撮影は始まった §
最初に藤吉孝二さんよりコメントを頂いた時はそれを当該ページにそれを掲載しました。それに位置が違うという意見が書かれていたので、それで良いかと思いましたが、やはり分かりにくいようです。誤った記述への訂正のメールがShuji Kamanoさん (Shuji Kamanoさんの京王関係のページ)より再び来ました。これはもう曖昧にはしておけないと思いましたが、確信の持てる厳密な確認ができないと自分で書いた内容の訂正もできません。
しかし、Shuji Kamanoさんが参考資料として示して下さった新宿歴史博物館発行の「新宿盛り場地図」(昭和10年頃の新宿周辺の詳細な地図)に、線路配置まで含めてくっきりと駅の位置が描かれていました。しかも、この地図は、私が2002年09月08日に新宿歴史博物館に行った時に購入しています。つまり、オータム写真館・京王線新宿付近廃線跡をたどるを撮影した後に、もっと良好な資料をとっくに入手済みだったのですが、新宿駅西側や都電の路線ばかり見て、肝心な部分を見落としていたことになります。
というわけで、もはや躊躇する必要はありません。
とりあえず、撮影に行ってきました。
~終着駅・四谷新宿~ 【2004年12月18日撮影版】 §
戦前、京王線の路線は甲州街道(国道20号線)の道路上にあり、新宿駅南口の陸橋を超えて更に続いていました。(詳しくはオータム写真館・京王線新宿付近廃線跡をたどるを参照)
そして、甲州街道と明治通りが交差する場所に到着します。
この交差点の北東側にあるのが以下の京王新宿追分けビルです。
京王線の線路は、ここで道路上を進むのをやめて、この京王新宿追分けビルの敷地に向かって進んでいったと考えられます。そして、京王新宿追分けビルの東側に続く京王新宿3丁目ビルが、京王線の戦前の終着駅、四谷新宿のあった場所ではないかと推測します。ただ、厳密に言うと、この2つの建物の敷地の合計と、当時の駅と鉄道施設の敷地の合計は一致していないかもしれません。
駅境界の推測 §
とはいえ、京王の名を冠した建物の敷地が、当時の駅の敷地の境界とおおむね一致するという推測は可能です。そのことから、駅敷地の東側の境界は、現在の京王新宿3丁目ビルの境界だと推測してみました。丁度、そこには道がありましたので、南側から北に向かって撮影してみました。
写真の左側が京王新宿3丁目ビル。右側が、2000年10月16日の時点で駅のあった場所と誤認した映画館の敷地です。ただし、映画館は取り壊されており、シネコンを含む複合商業ビルが建設されるようです。
建築物の不自然な境界は鉄道敷地の境界か? §
付近を歩いている時に、やや表通りから奥まった位置に、建物の境界が不自然な箇所を見つけました。
京王新宿追分けビルと京王新宿3丁目ビルの境界の道を覗き込むと、道が途中で中途半端な角度で曲がっています。
この曲がった部分まで歩いて向かって右側(東側)を見ると、建物の境界が不自然に見えます。
どのあたりが不自然かというと。
途中で折れ曲がった道の右側と左側のそれぞれに並行した建物が混在していて、向きが不揃いになっていますが、それにも関わらず、中央の建物の隙間だけは奥までまっすぐに続いています。これは、もしかしたら鉄道敷地の跡地の境界と一致するかもしれません。つまり、この隙間の右側が鉄道敷地であり、道を離れて斜めに伸びた路線の境界がこの隙間のラインではないかと。そして、奥に見える突き当たりの斜めのラインは、地図上に見える駅建築物のラインに一致するのではないかと。
そんな推測を考えてみましたが、それが正しいかどうかは分かりません。詳細な地図を重ね合わせてチェックすると、もうちょっと明確に分かるかもしれません。
位置確定のヒント §
地図上に見える道路の屈曲部が、位置確定のヒントとなりました。
「新宿盛り場地図」に見える四谷新宿駅南側の道路は、駅が終わった部分で急角度で折れ曲がっています。
そして、それと良く似た急角度を現地で発見しました。
どうやら道路のカーブを緩和する改善工事の結果、既に道路そのものはゆるやかなカーブを描いていますが、その土地は残されていて、歩道のラインから急角度の折れ曲がりを確認できます。
そこで思い出されるのは、2000年10月16日に撮影した時点では、ここでは下水工事が行われており、それによって視界が遮断され、道路の状況を全貌として把握できなかったことです。それがミスを招いた敗因の1つなのかもしれません。
ちなみに、2000年10月16日時点で参照した複製地図「大東京区分図三十五区之内渋谷区」(昭和16年発行)もあらためてチェックしてみましたが、四谷新宿駅周辺の表現はしごくあっさりしていて、距離感も掴みにくいものの、見直してみると2000年10月16日時点での判断が誤っていたことは確定できるだけの情報はありました。がっくし。