うぉ。
なんだこれは。
目の錯覚か!?
いやまあ、懐かしいパソコンの一種のブームというのがあって、たとえばMSXやPC-9801のムックが発売されたりしているのは知っています。
そういう本を見ても、今更驚きません。
しかし、これは違います。
どこがどう違うのかと言えば、「みんながコレで燃えた!」という見出しの「みんな」が指し示す範囲が、PC-9801やMSXと比較して、極めて狭いということです。
おそらく大半の者達がイメージする世界とは違う…… §
おそらく、8bitパソコンが主要な売れ筋パソコンであった時代に最も売れたのは富士通のFM-7。そのライバルのPC-8801も存在感が大きいと言えます。これらは、秋葉原のパソコンショップで美少女アニメキャラの顔を描くデモプログラムなどでオタクのハートをがっちり掴んで普及したわけで、おそらくこの世代のパソコンを知っていて思い入れを持つユーザーはかなり多いと思います。
しかし、PC-8001やPC-6001は、そういう世界とはちょっと違います。PC-8001はより古い世代に属し、PC-6001はPC-8801と同世代とはいえ値段が2倍以上違う低価格製品で表現力が劣ります。
具体的にPC-8001の表現力がどれぐらいかというのは、PC-8001で美少女(?)を描いたEmmyというゲームの画面写真が工画堂スタジオを語る部屋というページにあるので、見てください。「ちょっと変な形のクッション」というキャプションが付いた画像がそれにあたります。
まあともかく、美少女や萌え(という言葉は当時まだ無いけれど)のような目的で買うことはあり得ないパソコンだったことは事実だと思います。
しかし、私はPC-8001が好きだ §
では、PC-8001が好きだなどと表明することに価値がないのかといえば、そんなことはありません。
少なくとも、私はPC-8001が好きです。単なるノスタルジーではない明確な根拠もあります。たとえば後継機種であるPC-8801はCPUの処理能力と比較してあまりに過大なグラフィックメモリを搭載した結果、あまりにアンバランスなマシンに成り果てていました。ライバル機種のMZ-80Kと比較した場合、こちらは0番地からRAMに設定できないというCP/Mを動作させるには致命的な欠陥がありましたが、PC-8001の方はバッチリROMを殺して0番地から全てRAMになりました。
他にも細かい点を上げればいくつもあります。
しかし、そのような長所が正しく理解され、評価されているとは言い難いという印象があります。まずPC-9801を評価するか、あるいは、多少マニアックな人でもPC-8801まで遡るのが精一杯。PC-8001など、不完全な歴史上の通過点程度の扱いにしかならないことが多いと思います。
また、PC-6001は全く使っていませんが、これも一時期、金持ちではない層の手厚い支持があったにも関わらず、その功績が歴史的に無視される傾向があるように感じられました。
大丈夫か、アスキー §
そんな状況で、こういう書籍が出ると知ったら、もう予約を入れるしかないでしょう。
というわけで、貧乏なのに予約を入れてしまいました。アホですね。まさにアホ。
しかし、アホが私一人なら良いのですが、作っている側も本当に大丈夫かという危惧を感じさせます。何せ、MSXやPC-9801の懐パソ本と比較して、おそらくは客層がかなり限られます。ただでさえ経営が危なくて、知り合いのアスキー社員だった編集者がことごとく既にアスキー社員ではないという状況下で、こんなにマニアックで嬉しい本を作っていて平気なのでしょうか?
本書の感想はこちらに書きました。ぜひお読み下さい。