この本の最大の見どころは、以下の記事でしょう。
対談 大塚英志×斎藤環 ライトノベルを巡る言説について
これを読むために、これを買ったと言っても過言ではありません。
しかし、内容は全く予想外でした。
あの斎藤環を、大塚英志が一方的に叩きのめしている、とも見える内容です。
斎藤環が一方的にやられてしまう状況も意外なら、大塚英志がいつもの冷静さを捨てて激しく攻撃的になっているように見えるのも意外です。
さて問題は、このような構造が目に見える表面的な構造に過ぎないと言うことです。
ここで大塚英志が述べているのは文学評論は褒めるだけではダメだということです。はっきりと、身体を張って、作家に対して乗り越えるべき壁にならねばならない、ということを述べている……と私には読めました。まあ、このあたりの解釈は、個人的なものであり、正しいかどうかは分かりませんが。
凄くいい加減な解釈に立脚する話を続けると。
つまり、乗り越えるべき壁になることが文学評論のあるべき姿であるという主張を行いながら、高圧的に斎藤環に対して立ちふさがる壁であるかのごとき大塚英志は、それを通して斎藤環が乗り越えるべき壁を指し示しているように見えます。つまり、自らの態度の理由を、そこで行われる議論の中で示していることになります。つまりは、二重構造の議論です。
これは興味深いことで、この先の二人のやり取りが気になります。
少なくとも、和気藹々と仲良くすることが人間尊重であるという誤ったの考え方からは脱却しています。
それはさておき、壁は価値がある §
それはさておき、私も、他人に対して壁になることの価値というものを考えていました。なあなあの綺麗事だけではダメ。それでは進歩がありません。だから、褒めるだけではダメだという大塚氏の意見は非常に良く分かります。
(そして、アニメにおいて褒めるだけの態度を取るトーノZERO氏には痛い話でもあります)
本書の他の感想:
感想その1『個人宛メールを偽装する無差別spamを真に受ける人がいる理由』
感想その2『電車男とおたくは屈折した関係を持っているか?』
感想その4『ああ、つまり問題の本質はそういうことであったのか!!』