2005年04月24日
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試論・アニメブーム30年戦争 つまりアニメブームとはファン対ファンの意識されざる戦争であったのか!? 《前編》

Written By: トーノ・ゼロ連絡先

 アニメブームの終末を現実として意識するとき! 2005年とはその年になるのか!?アニメブームは終わるのか? 終わらねばならない構造的必然性!?において、アニメブームは終わったと判断し得る、終わらねばならない必然性があり得る、というさして根拠のない「感想」を述べました。

 これらの話題は、アニメファンとしてこれまで歩んできた過去を振り返り、それを解釈しようとする試みの開始点になりうることに気付きました。

 なお、アニメブームという用語の定義や、マジンガーZという作品名の象徴的な意味合いは、アニメブームの終末を現実として意識するとき! 2005年とはその年になるのか!?の方を、認識ギャップ温存者という用語の定義はアニメブームは終わるのか? 終わらねばならない構造的必然性!?の方を参照願いします。この文章は、上記2コンテンツの問題意識を引き継ぐ内容であり、これらを読まずにこの文章のみを読むと書き手の意図を読み誤る可能性があります。

アニメブームの開始点、終了点 §

 アニメブームとは、宇宙戦艦ヤマトを起点に始まったものであると考えて、おそらく異論は出ないと思います。ただし、海のトリトンまで遡りうると言う指摘は、留意する価値があります。ここでは、アニメブームの開始点を、宇宙戦艦ヤマトTVシリーズ第1話放送開始の1974年10月6日と位置づけたいと思います。実際には、TVシリーズ放映時点ではブームなど影も形もないのですが、ブームの起爆剤となる素材が世の中に提示されたという点で、開始点と位置づける価値があると思います。

 では、終了点をどこに位置づけるのかというと、これは蒼穹のファフナー最終回が放映された2004年12月26日であると位置づけたいと思います。その理由については後で述べます。

 この1974年10月6日~2004年12月26日の約30年間がアニメブームが萌芽を孕んでから玉砕するまでの期間であると考えたいと思います。

 そして、この間ある種の「戦争」とも呼びうる深刻な対立が静かに進行していた、というのがこのコンテンツでこれから語る趣旨です。

 この戦争を、仮に「アニメブーム30年戦争」と呼びたいと思います。

あらかじめ存在した2つのファン層 §

 アニメブームが起こった理由、より具体的には宇宙戦艦ヤマトがヒットした理由については、様々な本で様々なことが書かれています。

 しかし、1つだけ間違いないことは、アニメを巡る「大人」対「子供」の確執がこの事実に影を落としていることです。

 たとえば、ヤマトのヒットの理由として、科学忍者隊ガッチャマンのような大人の鑑賞に堪える優れた作品にどっぷりと浸かった世代が、その後低い対象年齢にフォーカスししていったアニメ業界の多数派の流れに不満を募らせていたから、という説があります。つまり、ガッチャマンの水準を当然と受け止めるアニメファン(当時はまだこの言葉はない)からすれば、マジンガーZのごとき子供騙しのアニメでは到底満足できないということです。その飢餓感が絶頂に達した時、宇宙戦艦ヤマトが颯爽と出現したわけです。飢えたアニメファンは殺到し、ヤマトブームは成立します。

 しかしながら、このストーリーを是とする場合、1つだけ注意すべき点があります。それは、マジンガーZも社会的な大ブームと言えるだけのインパクトを持った作品であり、巨大ロボットプロレスというアニメの大きなジャンルを形成する切っ掛けとなったということです。マジンガーZを突破口に出現した巨大ロボットプロレス作品は、それこそ数え切れないほど存在します。

 つまり、ヤマトブームは、ある種のファン層の「飢え」を前提として発生したものであるとしても、現実には飢えていなかった別のファン層が存在し、それも非常に厚いものであったと言うことです。

「大人指向」対「子供指向」という図式 §

 ここで、これらのファン層に仮に名前を与えたいと思います。

 ここでは、「大人指向」「子供指向」という名前を付けてみたいと思います。

 「大人指向」とは年齢的な意味で大人を目指すわけではなく、子供を馬鹿にせず、大人に耐えうる作品を指向する態度を意味します。そのような良心的な作品は、必ずしも子供を排斥しません。真剣に作られた子供向け作品は、大人が見ても面白いはずである、とすら言い得ますが、これは一種の「大人指向」です。「大人指向」のアニメファンは、全年齢的にあり得ます。

 一方、「子供指向」とは年齢的な意味で子供を目指すわけではなく、子供の世界観に適合する作品を指向する態度を意味します。特定の世界観に適合するために、それに適合する視聴者は非常に快感を得ることができますが、それに適合しない視聴者には子供騙しのつまらない作品と感じられる可能性があります。「子供指向」のアニメファンは、子供であるか、あるいは頭の中身を子供の世界観に切り替えられる洒落の分かる大人か、あるいは認識ギャップ温存者の大人と考えられます。

敗者の逆襲であったヤマトの一撃 §

 「大人指向」と「子供指向」、この2つの層はアニメブーム開始前からあったと言えます。しかし、それは必ずも意識されざる未分化な存在であったと言えます。

 アニメ勃興期の混沌を経て、この2つの指向性は、作品の市場性という意味で、「子供指向」が勝利します。たとえば、1971年に始まった典型的な「大人指向」作品であるルパン三世(旧ルパン)が僅か数話で路線変更を余儀なくされたことと、一方で1972年に始まった典型的な「子供指向」作品であるマジンガーZの大ヒットから明らかでしょう。

 このような「子供指向」の勝利は、けしてアニメにおいてのみ見られたものではなく、特撮の怪獣映画などにも見られた傾向と言えます。たとえば、ゴジラのような怪獣映画は、当初は大人向けの映画として製作されていたにも関わらず、その後、子供向けの映画へと強くシフトしていきます。(おそらくはそれゆえに、平成ゴジラの復活の際には、「大人指向」を取り戻すことが強く意識されている……と見えるような気がします)。

 このように、「子供指向」派作品が圧倒的に勝利している状況で、非常識極まりない奇人プロデューサが世の中の常識に逆らって世に叩き付けたのが、「大人指向」の宇宙戦艦ヤマトと言えます。

 つまりは、敗者の逆襲です。

 もちろん、それがアニメとして本来あるべき姿であるという信念があればこその行動でしょう。しかし、その当時の常識から見て、あまりに無謀な突撃であったと言えます。

 当然のことながら、マジンガーZシリーズの人気が絶頂期にあり、直接の続編グレートマジンガーが放送されていたこの時点で、ヤマトのような作品を受け入れる思考回路を世間は持ち合わせていなかったと言えます。

 つまり、視聴率は惨敗し、ヤマトは不人気アニメとして終了します。

ヤマトの敗因 §

 ヤマトの敗因はいろいろと数え上げることができます。

 世間の常識「子供指向」に逆行したと言うだけでなく、多数の強力な裏番組の存在や、軍国主義や右翼との混同といった要素もあり得ます。

 しかし、それでも極端な低視聴率で終わったと言うことは、ファン層の大人指向派と子供指向派の人数比に大きな隔たりがあったことが推測できます。つまり、大人指向派のアニメファンとは、少数派であったということです。圧倒的多数のアニメファンは子供指向派であったと推測されます。

 この人数比は、実は30年戦争を通じて、2005年現在まで維持されていると考えられます。

ヤマト奇跡の復活・そしてアニメブームへ §

 しかし、ヤマトは奇跡のように復活します。

 再放送を通じて人気を高め、TVシリーズ再編集版の劇場用映画で社会的に認知される存在になります。

 いわゆるヤマトブームの到来です。

 では、このブームの担い手は誰でしょうか。

 大人指向派でしょうか。それとも子供指向派でしょうか。

 順当に考えれば、大人指向派によって担われた、と考えるべきでしょう。

 もちろん、最初に切っ掛けが大人指向派によってもたらされたことは間違いないと思います。

 しかし、彼らは大きなブームを形成するには人数が足りないと考えられます。

 それにも大きなブームは到来しました。

 それはなぜか。

 おそらくは、多数の子供指向派がヤマトブームに流入していたと考えられます。

 しかし、なぜ子供指向派がヤマトのファンになりうるのか。彼らが好きな作品は、子供指向作品ではなかったのか?

 ここで1つの非対称性を指摘できます。

 大人指向派は、子供指向作品を物足りないと感じます。

 しかし、子供指向派は、自分たちの価値観で解釈可能な面白さを見出し得る限り、大人指向的な作品も守備範囲に入れられるのです。つまり、巨大な戦艦が宇宙と飛び、巨大な砲が火を噴くという世界は、十分に子供の世界観を満足しうる分かりやすい世界であったと言うことです。

 それに加えて、大人指向派の世界は、アニメを見る行為を社会に認知させる正義の論理を備えていました。それは、子供指向派の世界には致命的に欠落していたものでした。つまり、「いつまでもアニメなんか見ていないで、はやく卒業しなさい」という親や社会からの成長の要請に逆らってアニメを見続けたいと思った時、それに反論するための拠り所は、大人指向派の世界にしか無かったのです。

 子供指向派がヤマトブームに合流する理由は他にもあるでしょうし、個々人の問題を取り上げれば、これほど単純な図式には収まらないでしょう。しかし、全体の傾向として、このような状況はあり得ると思います。

 つまり、ヤマトの逆襲は、ヤマト自らが否定しようとした価値観を内包する形で成立いしたと言えます。

1980年代の構図 §

 1979年4月7日から始まった機動戦士ガンダムは、このような状況を安定的に固定化させる働きがあったと考えられます。

 この作品は、ヤマト以上の大人指向派の世界観を持ちながら、それと同時に子供指向派も大満足するようなロボットアクションを提供しました。

 大人指向派から見れば、「あんなピエロのようなロボットさえ出なければもっと気持ちよく見られるのに」という感想になりますが、子供指向派から見れば、ロボットアクションを楽しみつつ、それに後ろめたさを感じないための正当化の論理も提供してくれるまさに理想的な作品であったと言えます。

 この時点で、大人指向派と子供指向派は最高の蜜月状態にあったと言えるでしょう。

 つまり、元来少数派であった大人指向派は、自分たちの嗜好を社会に認めさせるために、多数の子供指向派の人数の力を借用できたのです。そして、子供指向派は、後ろめたさや、「はやく卒業しなさい」という圧迫から逃れるための論理を、大人指向派より手に入れることができたのです。

境界の消失・セーラームーン §

 1992年3月7日から放送された美少女戦士セーラームーンは社会を巻き込む大ヒットとなりました。

 この作品において、大人指向派、子供指向派という区別はほとんど無効化されてしまいます。セーラー服を着て変身する女子中学生が戦うドラマには、年齢を超えて魅力のある普遍的な価値が詰め込まれており、それは大人の世界観であるとか子供の世界観であるという区別そのものが無意味化します。

 この時点で、1980年代に見られた大人指向派と子供指向派の蜜月状態は消失したと考えられます。

 つまり、セーラームーン以後の日本社会とは、あらゆる年齢層、あらゆる種類の日本人がセーラームーンを楽しんでしまった後ろめたさを持つ社会なのです。そのような社会の中でアニメを見るには、もはや正当化の論理は必要とされないのです。

 多数派の子供指向派は、もはや少数派の大人指向派に敬意を払う必要性を持たなくなります。

 しかし、この状況は、この時点ではまだ表面化しません。

後編に続きます。

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