2005年05月13日
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女性だけの集団が内包する抑圧、差別などが、綺麗な見かけの隙間から垣間見えるえぐいドラマ!?

Written By: トーノZERO連絡先

 謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!

 2005年5月12日の極上生徒会の感想。

サブタイトル §

第6話 大恐怖!プッチャンの呪い

あらすじ §

 腹話術人形のプッチャンは、極上生徒会のメンバーを馬鹿にするような台詞を言い続けます。

 プッチャンは、極上生徒会の遊撃メンバーによって、りのから没収され、引き離されてしまいます。

 しかし、プッチャンは遊撃メンバーへの復讐を主張し、りの以外の人間の手に収まり、復讐を繰り返します。

 プッチャンは追いつめられますが、雷に打たれて死にます。

 しかし、生徒会長が「死んだふり」と言った瞬間に甦ります。

 ベッドでりのが寝ているとき、りのの手に収まるプッチャンと生徒会長は会話を交わします。プッチャンは、もう自分は不要であり死んだはずだと言います。しかし、生徒会長はまだ必要だと言います。

感想 §

 これから書いていく解釈は、この1エピソードを元に「こういう解釈もできる」というだけの話であり、作品の公式設定に沿っているとか、あるいは今後の展開に整合すると保証されるものでもありません。念のため。

シュールに見えて実は…… §

 さて、このエピソードでは幾つかのシュールな展開が見られます。

  • 腹話術人形に過ぎないプッチャンが、りのとは別人格であるかのように話します (第1話より)
  • プッチャンは、りの以外の人間の手にあるときにも、プッチャンらしい人格を示します
  • プッチャンの声は、プッチャンを持っている人間がプッチャンらしい声を作った声となります (確認はできていませんが、持ち手を変えると声が変わっているように思えます。その前提で考えます)
  • プッチャンは、自らが死ぬことが必要であると認識していて、そろそろ潮時かと考えています
  • 人形であるプッチャンが復讐を表明します
  • 生徒会長は、死んだはずのプッチャンを、一言で甦らせます
  • りのが寝ているのに、りのの手の中にあるプッチャンは喋ることができます

 実は、これらのシュールな展開は、すべて物理的な整合性が取れています。

 つまり、プッチャンは誰かの手にあるときにのみ発言し、その人形を持っている人間の声で喋ります。そして、人形のプッチャンが死ぬことはあり得ないので、「死んだはず」も「甦る」も、人間たちの思いこみに過ぎません。

 その点で、この作品はオカルトでも超常でもないドラマとして解釈できます。

 その路線で更に解釈を進めましょう。

 さて、プッチャンには、彼固有の人格が存在するでしょうか。これは、否と考えられます。なぜなら、プッチャンがりのの手の中にある場合と、他の極上メンバーの手にある場合に、主張が異なっているためです。りのの手の中にあるとき、プッチャンは自分の引退を考えています。しかし、他の極上メンバーの手にある場合は、遊撃メンバーへの復讐のことを考えています。

 つまり、プッチャンの人格とは、人形を持った者がプッチャンの人格であると信じている人格として表出するということです。

遊撃への復讐とは誰にとっての復讐であるか §

 プッチャンによる遊撃への復讐は、一見して、牢屋に閉じこめられたプッチャンが、閉じこめた遊撃に対して行っているかのように見えます。

 しかし、プッチャンに固有の意思がない以上、プッチャンは復讐の主体たり得ません。

 つまり、これはプッチャンの復讐に偽装した他者の復讐と考えるのが順当です。

 では、誰が何のために復讐を行ったというのでしょうか。

 当然、「誰が」というのは、実際にプッチャンを手にはめた者達です。つまり、車両部のシンディ真鍋と、極上の会計の市川まゆらです。

 具体的に、この2名にどのような動機があるのかを考えれば、「何のために」という事情も見えてきます。

 まず、シンディ真鍋には、泣いているりのを見ていたという描写があります。りのを不憫に思った彼女が、りのの気持ちを救うことができると彼女が思った行動に出た、という可能性は考えられます。

 市川まゆらの方は、もっと分かりやすい理由があります。彼女は、遊撃に予算を使い込まれ、その上、余りもののカレーを毎日食べることに付き合わされています。自分ではなく、プッチャンがやったという口実を用意した上で、遊撃に対する復讐が可能になるとすれば、それを避ける必然性はないでしょう。そして、市川まゆらは、プッチャンの仕業として金城奈々穂の顔にマジックを塗りつけて、それを完遂します。

では、りのにとってのプッチャンとは何か §

 シンディ真鍋と市川まゆらにとってのプッチャンという存在の位置づけは何となく見えてきました。

 では、肝心の蘭堂りのにとってのプッチャンとはいったい何か。

 おそらくそれは、母との別れの悲しさを乗り切るために、本能的に作り出した別人格、あるいはそれに類するものでしょう。

 りの本人は、自分の中にプッチャンの人格が存在することを自覚していないように見えます。そして、プッチャンの人格は、プッチャンの人形を通じてしか発現しないという制約を課せられています。

 つまり、プッチャンとは、普通なら精神が破綻するほどの危機的状態を乗り切るために作り出された、ある種の衝撃吸収装置であったと言えます。

 従って、危機的状況を乗り切ってしまえば、プッチャンの必要性は消滅します。

 そのことを、りのの中のプッチャン人格は有自覚的であったと言えます。そろそろ消える潮時だ、と自らが考えているというのは、まさにそのことを示していると言えます。それゆえに、雷に直撃されるという生き物なら致命的なシチュエーション下で、自らの抹殺を計ります。

生徒会長によるプッチャン復活のメカニズム §

 りのの中のプッチャンの人格は、りのから見て有自覚的なものではありません。

 それは、その人格が何らかの強固な意志によって駆動されていないことを意味します。

 つまりは、適切な誘導さえ与えられれば、変化させうるということです。

 生徒会長は、まさにそのような方法を「有自覚的に」行使したと見て良いでしょう。

 りのから厚い信頼を持っている立場から、自信たっぷりに「死んだというのは演技であり、本当は生きている」という言葉を発することによって、りのの中に存在していた「プッチャンは死んだ」というストーリーが上書きされてしまったのです。

 そもそも「プッチャンは死んだ」というストーリーそのものが、りのの心の中だけに存在する思い込み、設定である以上、りのの心に影響を与えることができる言葉があれば、容易にプッチャンの生死は逆転し得ます。

 しかし、そのメカニズムに対して、プッチャン自身は有自覚的ではありません。

 自覚しているのは、生徒会長だけです。

最大の問題! なぜ生徒会長はプッチャンを復活させたのか!! §

 プッチャンの復活は、2つの状況を引き起こします。

 まず、蘭堂りのが母の死という痛手から立ち直る時期を遅らせること。言い換えれば、悲しむに沈む状態を延長させること。

 そして、今後も「プッチャンの復讐」という名目の復讐を可能にすることです。

 第1の状況は、生徒会長から見たりのの存在意義が、自分が可愛がるお気に入りの少女だと仮定するとすっきりと理解できます。りのは、「可愛がってあげねば壊れてしまいそうな愛玩人形のような少女」ではありますが、それは母の死という悲劇に心を傷つけられていればこそです。立派に立ち直って一人前に成長したりのは、きっと可愛くないでしょう。つまり、愛玩する対象であり続けるためには、癒されるべき傷を持ち続けねばならないのです。そして、プッチャンという緩衝剤があり続ける限り、傷は存続されます。

 もっとも、この仮定が正しいかどうかは分かりません。生徒会長には、まだ明らかにされていない設定もありそうです。

 さて、第2の状況を意図してプッチャンを復活させたと仮定すれば、生徒会長は「プッチャンの復讐」が極上生徒会には必要だと考えている、という結論になります。つまり、極上生徒会とは、「プッチャンの復讐」という匿名のガス抜きが必要とされる集団であり、けして円滑に運営されてなどいない、と生徒会長に認識されていることになります。

 教師をも上回る権限を持った特権的な集団である極上生徒会は、他の生徒に対して特権的であるだけでなく、集団内部にも侵しがたい多くの特権性を持ちます。権力に絶対的なヒエラルキーがあると言っても良いでしょう。特権性は抑圧を生み、それは大きな隠されたストレスを孕みます。それを適切に解放するメカニズムを持たねば、極上生徒会というシステムは崩壊する危険があるでしょう。

 そして、プッチャンとは、まさにヒエラルキーを超越した抑圧の解消手段として機能します。プッチャンは人形に過ぎませんから、いかなる意味でも特権性のヒエラルキーのどこにも位置しません。それゆえに、「プッチャンの復讐」は、本来侵すことができない特権性を超越して行使され得ます。

 もしも、生徒会長がそれなりに見る目の持ち主であれば、そのようなことに気づいていても不思議ではありません。

 つまり、極上生徒会にプッチャンが必要であると考えて復活させたという可能性も考えられます。

そもそも極上生徒会とはなんぞや? §

 極上生徒会とは、とりあえず美少女がたくさんいて、楽しげに日々を過ごしている集団……ではありません。

 おそらくは、汚さ、怖さ、抑圧、差別などを強く内包しながら、綺麗な外見の中に隠している集団でしょう。

 むしろ、綺麗な外見を維持するということが、即座に「抑圧」に直結するとすら言えます。

 そして、大人と異性を完全に排除した閉鎖的集団を形成することによって、抑圧は内部に向かって放たれます。外部に向かっては発散できないのです。たまたま、勘違いした金持ちの男の子がやって来たりすると、彼に対して巨大な大砲を撃って発散するできるケースもありますが……。それはレアなケースであるようです。

 つまり、平均的なオタクが期待するであろう「可愛い女の子がたくさんして、何となく仲良くやっていて、根拠もなく唯一の男性主人公の男の子を好きになってくれる」というドラマにはなり得ません。

 むしろ、同年代の女性だけの集団が内包する汚さ、怖さ、抑圧、差別などが、綺麗な見かけの隙間からチラチラと垣間見えるえぐいドラマになる可能性が考えられます。

 もちろん、そのようなドラマが見られれば、私はとても嬉しいと思います。

 少なくとも、今回は、私がとても嬉しがるほどのえぐさを内包していた、というように思えます。

プッチャン大好き! §

 というわけで、現状で、けっこう極上生徒会は好き!と言いうる状況にあるわけです。

 そして、好きと言わしめる根拠の多くを、プッチャン、あるいはプッチャンという存在を通して導出される出来事が担っているという意味で、プッチャンは良いキャラだと思うし、大好きですよ!!

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