2008年01月06日
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解決編・1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場の位置と理由を(ほぼ)確定!!

Written By: 川俣 晶連絡先

謎の提起 §

 WikiPediaの「女子プロ野球(2010/07/26追記:現在は日本女子野球連盟)」の項目に、1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場という施設への言及があります。

 新宿西口に球場のような施設は現在存在しません。1951年頃といえば、高層ビル群のあった場所の大半は淀橋浄水場であり、あまり広いスペースは残っていません。淀橋浄水場と新宿駅の間は角筈という地名の土地で、これといって市街地でも歓楽街でもありません。

 そもそも、江戸時代の新宿の中心は青梅街道と甲州街道が分かれる新宿追分のあたりです。

 ここが新宿の中心地であり、JR新宿駅というのは本来新宿の西の最果てです。そのため、京王線は本来新宿三丁目あたりに終点を設けていて、現在のように西口を終点とはしていませんでした。一方、西口を終点とした小田急は乗客が増えず、渋谷から新宿西口への延長を計画していた東急は結局延長を果たすことはありませんでした。

 そして、現在のように新宿の西口が栄える切っ掛けになったのは、1962年の小田急デパート(現在のHALC)と1964年の京王デパートが西口にできたからだとされます。それ以前の新宿西口とは、まさに「何もない場所」だったと言えます。そして、1965年まで淀橋浄水場がそこに存在したということは、まさに「何もない場所だったから広大な施設があり得た」という1つの証拠となります。

 そのような経緯から考えれば、1965年以降であれば西口に球場のような大規模行楽施設が作られることも分かります。しかし、上の話は1951年です。

 この問題には以下の謎が存在することになります。

  • 淀橋浄水場という広大な施設がある西口のどこに球場を作る余地があったのか
  • 新宿西口に作られねばならない理由は何か

 以下、1つ1つ順を追ってこの謎を追究してみましょう。

女子プロ野球とは何か §

 WikiPediaの「女子プロ野球(2010/07/26追記:現在は日本女子野球連盟)」の項目から本稿に関連する要点を抜き出します。

  • この大会(オール横浜女子野球大会)の人気に刺激され、銀座にあった『メリーゴールド』というダンスホールのダンサーたちが1948年に野球チームを結成し、上記のオハイオ靴店チームと試合を行った。その試合を見ていた小泉吾郎(旧満州などで芸能興業を手がける興行師だった)が、女子による野球を興行として行うことを発案し、横浜女子商業の選手6名とメリーゴールドの選手を合流させて1948年7月に『東京ブルーバード』を結成した。これが非公式ながら日本初の女子プロ野球チームと言われる
  • 小泉は引き続き女子プロ野球に情熱を燃やし、1949年5月に新たに選手を一般公募して『ロマンス・ブルーバード』を結成した。入団テストに際しては、「野球の腕前もさることながら、独身で容姿端麗という点も重視した」
  • 日本の女子プロ野球は、1950年と1951年の2年間にわたって存在した、女子による野球のプロリーグである
  • その後、1952年からはノンプロ(社会人野球)に改組し、1971年まで存続した
  • 新宿西口に東京生命球場が完成し、女子プロ野球の本拠地として使用されることになった
  • ユニフォームは、1950年から59年まではショートパンツだった。59年以降は長ズボンになった
  • 日本女子野球連盟の内部抗争は、「ショー」「興業」派のロマンス・ブルーバードを追放して「健全スポーツ」派が勝利した形になったが、それによってそれまで女子プロ野球が持っていた一種猥雑なショー的要素がなくなってしまった
  • そのため、観客動員も低下して、プロとして独立採算で経営することが難しくなり、スポンサー企業をつけたノンプロの形以外での存続が難しくなった

 つまり、初期の段階において、女子プロ野球とはショートパンツの容姿の良い女性を見せる性的な「見せ物」としての側面が強い存在であったと言えます。その点で、現在の「健全な行為」としてのプロ/アマの野球とは決定的に位置づけが異なると言えます。

助上水とは何か §

 玉川上水から神田川(神田上水)に水を流す補助的な上水路です。江戸時代から存在しています。

 おおむね、以下の経路を辿っていると推定しました

淀橋浄水場とは何か §

 東京の水道事情を改善するために1898年に竣工した浄水場です。場所はほぼ現在の新宿副都心の高層ビル街と重なりますが、完全に同じではありません。1965年に閉鎖されています。

十二社とは何か §

 かつて新宿区に存在した地名です。

 極めて大ざっぱに示すと以下のあたりにありました。おおむね角筈の西側に位置します。

 さて、十二社とは「じゅうにそう」と読み、現在でも「十二社通り」等に痕跡が残る地名です。今ではあまり有名ではありませんが、江戸時代から昭和に掛けては有名な行楽地、歓楽街であったようです。芸者も多数いたそうです。明治には外国人もわざわざ訪問してきていて、アメリカ領事のハリス、ヒュースケンもしばしば来たとされます。

 ここには、船遊びができる大きな池が存在し、時代と共に変化する滝がいくつか存在していました。

 特に滝は最盛期においては幅1メートル、高さ10メートル弱というスケールの大きなものが存在したようです。これは助上水の経路上に存在したようです。ちなみに現在の下流部の玉川上水を知る人はピンと来ないかもしれませんが、実際に使用されている時代の玉川上水は、落ちたら助からないと言われるほど水量が多く激しい流れだったそうです。だから、助上水であっても雄大な滝はあり得たでしょう。

 そして、江戸からこれほど近い場所であれば、それは観光客が集まるのに十分だったでしょう。

歌舞伎町の歴史とは §

 新宿の歓楽街といえばすぐに思い浮かぶ「歌舞伎町」は、一見伝統ある町のようにも思えますが、実際には太平洋戦争後に成立した町に過ぎません。

新宿西口に作られねばならない理由の考察 §

女子プロ野球が「見せ物」であるとすれば、地域ぐるみで女性を歓楽の手段として提供する土地に本拠地を建設することは、非常に妥当な考えです。それを求める客が集まってくるわけですから。

仮に新宿周辺にその候補地を求めるとすれば、まず歌舞伎町が候補に思い浮かびますが、この時代の歌舞伎町は戦後の混乱期に生まれたばかりの猥雑な町に過ぎません。安定的に人を集め、大規模な興行を行うには向きません。

それと比較して、十二社の方が歴史が長く、多くの人を実際に集めてきた実績も十分です。

とすれば、実は女子プロ野球の本拠地の求心力は「新宿」ではなく「十二社」にあったと考えられます。そのように考えると、何もない新宿西口から、さらに遠く離れた位置に球場が存在する根拠があり得ることが分かります。それは「遠く離れた位置」なのではなく、十二社という基準に対して極めて近い場所と解釈しうるのです。

(2010年7月26日追記。この考察は間違っていたようです。その他: 女子プロ野球と東京生命球場参照)

東京生命球場の推定位置 §

 新宿区地図集(新宿区教育委員会)の復興新宿区全図 昭和28年(1953年)を見ると、「東京物産グラウンド」(印刷がぼやけているので文字は違うかもしれない)という施設が十二社に描かれています。ちなみに、この当時の地図は測量から出版までにタイムラグがあるので、1951年当時の名前がまだ反映されていない可能性があります。そして、他にこれといって球場があり得るめぼしい候補地もありません。

 場所は、非常に大ざっぱに示すとだいたい以下の位置となります。

 これは淀橋浄水場の西側に隣接する位置で、かつ、斜め向かいに十二社の大池が存在する位置です。

 ちなみに、同じ地図集収録の昭和22年の地図では東京窒素工業(名前が読み取れない、特に窒素の部分の文字は極めて曖昧)という学校が存在していたようです。昭和16年の地図では新宿ゴルフ場、明治44年の地図では授業場(?)となります。

 他に球場のような広い土地の候補も近くに無いため、ここが「1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場」の位置と考えて(ほぼ)間違いないと考えます。

錯覚トリックの正体 §

 新宿に関する知識が中途半端にあればあるほど、「新宿西口には何もない」という常識が判断力を鈍らせます。角筈という地名を知り、そこが単なる住宅街に過ぎないことを地図で見てしまうと、「そこから先に目立った施設などあるはずがない」と思いこんでしまう訳です。

 これが、私にとっての「錯覚トリック」を構成していたようです。

 角筈の先にどのような土地があるのかを知ろうとする努力そのものが無意識的に刈り取られ、十二社という土地に注目するチャンスが奪われていたわけです。

 実は、このあたりの土地を歩いたことがあるにも関わらず、目がそちらに向いていなかったわけです。

感想 §

 新宿西口に、ハリス、ヒュースケンもしばしば来たメジャーな歓楽街があったとは。しかも、大きな池にゴージャスな滝。これはびっくり。

 新宿という土地のイメージが一変しました。

 特に新宿以西に住む者として、JR山手線の内側よりも外側の方が親しみやすいために、そこにそのような場所があることを知るのは、なかなか鮮烈な驚きがあります。

参考文献 §

新宿区地図集 (新宿区教育委員会)

「柏木・角筈一目屏風」の世界 (新宿区立新宿歴史博物館)

追記 §

 国土地理院が公開する航空写真で、球場らしい施設が明瞭に確認できることに気付きました。

 開いたら200dpiをクリックしてください。最も左サイドに近い位置、四角が並ぶ淀橋浄水場の左側に見えます。

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