最近、以下の3つのことがありました。
- 玉川上水から神田川に流れる「玉川助上水」という名前に興味を持ったが、正確にはどこにあるのかまだ知らなかった
- 東京生命球場の位置考察に関連して、淀橋浄水場の西側境界と新宿新都心の西側境界が一致しないことに気づいた
- 向陽橋の名前の起源が知りたくなり、神田川遡上という本を買ったが分からなかった。その後放置
まさか、この3つが連動していた話題だったとは!!
おおざっぱな推定流路 §
神田川遡上のp111に「神田上水助水路」についての説明がありますが、おそらくこれが「玉川助上水」なのでしょう。p101の略図におおざっぱな位置が記載されています。
これを元にして、以下の航空写真を見ると、元水路と思われる筋が見えます。
以上の情報を元に、GoogleMaps上にラインを引いてみました。ぜひ拡大して追いかけてみてください。
余談ですが、淀橋浄水場、淀橋区、ヨドバシカメラなどの「淀橋」の元になった橋は、上記A点近くの神田川の橋だそうです。
淀橋浄水場の西側境界 §
最初、ずっと考えていた淀橋浄水場の西側境界と、この水路がよく一致すると考えました。上水路と浄水場はもちろん同じ組織内で扱われるものですから、親和性が高いと言えます。それゆえに、淀橋浄水場は、既に存在していた上水路の存在した場所に作られたと考えました。
しかし、これは航空写真を見ると誤りのように思えます。水路跡らしきラインは、淀橋浄水場の西側境界に沿っていません。
では、両者は無関係なのかといえば、それも違うような気がします。どうも、以下の条件が一致する場所を選んでいるような気がします。
- できるだけ水の消費地に近い
- できるだけ玉川上水と神田川(神田浄水)の距離が近い
ちなみに、単に距離が近いだけなら下高井戸あたりの方が遙かに近いのですが、それだと消費地に近くありません。
だからどうなのだ……というと、これ以上は分かりませんが、淀橋という土地を選んだ地理的合理的理由があるような気がします。
ちなみに、1966年の「淀橋浄水場史」という本があることが分かりましたが、Amazonでは古書で¥12,775というべらぼうな値段が付いています。ちょっと買えません。これは水道関係の施設の図書室を探すのが良いかな?
新宿十二社の滝 §
かつてのこのあたり、熊野神社のあたりに滝があったという記述を見たことがありますが、そのときは意味が分かりませんでした。
しかし、神田川遡上には、この上水路の水が熊野神社東側で流れ落ちた滝があったと記述されています。これで、滝の謎も解けました。
江戸の景勝地として知られていたが、明治25年の淀橋浄水場の建設で姿を消したと記述されています。
感想 §
うーん、どうやら鉄の道だけでなく、水の道にも踏み込んでいかねばならないのかも。まあ、玉川上水、神田川、荒玉水道、井の頭通り(水道道路)が身近に交錯する土地に住む者の宿命でしょうか?