ずっと寝かせていた劇場版第1作の録画をやっと見た数日後に第2作「超劇場版ケロロ軍曹2 深海のプリンセスであります!」がTV放映されるという、あまりにはまりすぎの展開に愕然。しかし見ましたよ。第2作も。
二重構造を見抜く夏美 §
この映画には、2つのレイヤーがあります。
つまり、別個の2つの物語が重層的に存在するわけです。
第1のレイヤーは地球侵略物語(あるいは夏美誘拐物語)です。
第2のレイヤーは幼い子供の迷子物語です。
当初、登場人物の誰もが第1のレイヤーの物語構造を確信し、それに沿って行動しています。しかし、迷子の経験を持つ夏美だけが二重構造を見抜き、第2のレイヤーに沿って行動を始めます。つまり、誘拐されて花嫁の立場を強制されているにも関わらず、そこから逃げようとしません。それどころか、誘拐相手を抱きしめて受け入れてしまいます。
それによって、夏美は「ペコポン人最強女戦士」としての属性を何ら発揮することなく、「母」としての属性によって事態を解決してしまいます。
表現の秀逸性 §
このような展開は、映画の中で多角的に表現されています。以下に例をいくつか書きます。
- 映画の最初に紹介されるのは夏美であり、しかも日向家にあっては母の代理であることが強調される。つまり、夏美=母という構造が最初に提示される
- ほとんどストーリーに絡まない夏美の母との電話シーンがあり、ここでも「母」の存在が強調される
- 主要な舞台となるデパートは夏美と母との思い出の場所
- 「迷子=母の不在」という状況を強調する風船は動かずにそこにあり続ける
- デパートでの迷子は、メール王子の母の不在を強調すると共に、メール王子を発見する夏美が母であることが表現される
- 迷子で「母」に発見される夏美が発見する側にまわる
- メール王子に対して明らかにお似合いのマールの存在が、夏美をメール王子に対する「女」位置に落とし込む解釈を阻害し、「母」の位置に安定するように演出されている
つまり、表面的には宇宙人の地球侵略あるいは花嫁の誘拐という物語を語りつつ、そこで使われる道具立ては、一貫して「迷子=母の不在」から「母との再会」という物語を強く示しているわけです。
迷子の不安 §
迷子の不安を見抜き、誘拐した相手のところにとどまり続ける夏美、という描写は本当の意味での愛や思いやりを感じさせます。そこは胸が熱くなります。まさに、その意味においてこれはケロロのファンに限らず、見る者に感動を与える力があると思います。人間なら誰でも分かる普遍的な感情の問題だからです。
夏美の透明スカート §
それはともかく、夏美のプリンセス服はスカートが透明で、パンツ(?)が丸見えです。まあ、水着と解釈すれば見えても良いのかもしれませんが、そうでないとしてもスマートなのでよしとしましょう。
ともかく好きですね~。このファッションセンス。
大胆な色気のある格好良さです。
吉崎観音自らのデザインかどうかは知りませんが、吉崎観音ならではのスマートなセンスが見られるような気がします。
まとめ・良い映画であること §
単なるファンムービーにならず、まず映画として筋が通っていること。
これが素晴らしい!
その上で、映画としての傑作であること。
魂がこもっていて愛もあり、胸を張って「いい映画だよ!」と言えること。
本当に良い映画です。