1980年代にパソコン通信を始めるときに選択したハンドル名は英文字を強制される日経MIXではautumn、それ以外のカタカナOKのホストではオータムだった訳ですが、もちろん現在のオータムマガジンというサイト名やautumn.orgというドメイン名はそこから来たものです。
この選択には、以下の目論見が含まれます。
- "autumn"は季節の秋を表す単語であり個人を識別する単語として使用される可能性が極めて低い。つまり、たまたま同じハンドル名を他者が名乗る可能性が極めて低い
しかし、この目論見には2つの致命的な間違いが含まれていました。
- "autumn"はアメリカ等では典型的に使用される人名の1つである
- しかも女性の名前である
その結果として、特にインターネット時代にあっては「ハンドル名やID名のだぶり」は日常茶飯事的に発生し、しかも「女性と認識される」リスクも孕んでいることになってしまいました。あれまあ!
ちなみに、autumn.orgというドメインを所有することが可能となった理由は簡単で、インターネットがここまで膨らむ前に確保したからでしかありません。しかも、故・いとじゅんさん(知り合いの知り合いぐらいの近い関係らしい)が、itojun.orgを個人で占有しているのを真似たに過ぎません。
009は格好いい番号 §
ここで「性別問題」は打つ手がありません。
しかし、名前の重複は単語に番号を付ける等の方法である程度回避できます。サイトのIDを取得する際等には完全なユニークさを求められるので、これは必要な措置です。
では、どのような番号を付ければ良いのでしょうか。
実際に、いくつかのサービスで取得したIDが他者に知られているケースがあるので書きますが。選んだ番号は009です。
7(私がセブンだ)や007(殺しの番号だ)ではなく、0011(ナポレオンソロだ)でもないし004989でも00893(メカは友達だ)でもありません。
ここで問題は、なぜ無意識的かつ咄嗟に009という番号を選んだのか、という理由です。
ストレートに考えれば、根拠はサイボーグ009ということになります。
しかし、過去に009が凄く好きだったという事実はないし(レインボー戦隊ロビンは凄く好きだったが)、根拠としては薄弱です。
自分で自分の行いを理解できず、悩んでいたところ、ある時ハッと気付きました。
PECOとナローゲージ趣味という問題 §
うろ覚えで書きますが。
1970年代後期に日本の鉄道模型界に出現したナローゲージつまり通常よりも線路の幅が小さい軽便鉄道のブームは、乗工社とProject 87主導であったように思います。
このとき、1/87で線路の幅は9mmというスタンダードは、Nゲージの足回りのパーツを流用しつつ、上回りやストラクチャー等は国際スケール(≠日本スケール)のHOゲージのパーツを流用できるという根拠により成立したものだろうと思います。
ここで線路の上を走っていた車両は乗工社の製品や、Nゲージ車両の改造品が多かったのだろうと思います。
では、これらの車両の下にあった線路は何か……というと、PECOのナローゲージ用の線路が多かったのだろうと思います。これらは、Nゲージ用の線路とは明らかに違うスケール感の枕木が付いたもので、安価であることも相まって便利に使われていたように思います。ってか、私自身が実際に使ってましたよ。PECOのナローゲージ用のフレキシブルレールの上を、トミーのC型ディーゼルのキャブを切って背の高いキャブを付け直したDLが、乗工社のトロッコを牽引してました。
さて、問題はここからです。
このPECOのナローゲージ用線路製品群にはブランドがありました。
それが"00-9"です。イギリス製品だけに、007のもじりで00-9というネーミングなのかな……と思っていたので、読み方は「ゼロゼロナイン」か「ダブルオーナイン」かなどと思っていたので、そういう意味で"009"は格好いい番号として私の中にすり込まれていたようです。(念のために補足すると、OOゲージ関係のネーミングという可能性もあるのだが)
2009年と009 §
これで話が完結したので、そのうちにこの話題を書こうと思っていたら終わりではありませんでした。
2008年の末頃になるとやってくる"2009年"を冠したメールのタイトルを見ているうちに、"009"がどうしても目に入ってしまうのです。
2007年の時に、"007"は印象に残りませんでした。
しかし、2009年は"009"が印象に残るのです。
おそらく、文字を構成する線の総延長が短いため、文字としての印象として"2"や"7"は弱いのでしょう。それに対して"0"や"9"は強いのです。2007は2も7も印象が弱いため全体として2007という印象しか残らないのに対して、2009は2だけ印象が弱いため、009が印象の残るのです。
というわけで、意外にも009問題は2009年らしい話題となりました。
これで綺麗に完結です。
更にどんでん返しか §
と思ったら、まだ完結していませんでした。
どうやら、2009年に"009"を見たのは私だけではなかったようです。
「はっはっは。今頃時代錯誤に009とか言ってるのはおいらぐらいだよ」という自虐精神は粉みじんに砕かれてしまいました (笑)。
そして再熱する謎 §
あらためて考えてみると、009とは実は私の考える「正しい」集団ヒーローだったことが分かります。
では私の考える間違った集団ヒーローとは何か。
- 全員集まらないと何もできない
- 各メンバーの性質が均等であり、突出した個性を持たない
大抵の特撮の集団ヒーローはこの条件を満たしますが、それは私が多くの特撮作品に否定的な印象を持つ理由のかなりの割合そのものです。
逆に言えば、「トミカヒーロー レスキューフォース」に肯定的な評価を下している理由はまさにこれです。超災害の元凶を撃つために必要とされるのは「全員集合」ではなく「隊長によるファイナル レスキューの承認」です。装備が手元にあってそれを使えば災害の元凶を解消できる時、いちいち全員集合を必要としないのは極めてまっとうです。逆に、「装備の使用許可」を出すという「突出した個性」を持つ役職が存在するのも、極めてまっとうです。
このような観点から考えると、009は上記条件をまっとうに満たしていることが分かります。9人のサイボーグが全員集合しなくても解決されていく問題は多いし、各人が持つ特殊能力は全て突出した個性であるどころか、直接的な戦闘力に直結しない能力を持つ者まで何人も含みます。(実質的に戦闘力を持たないに等しいバトルマリンを含むコンバトラーVも同じような性質を持っていると言えるか?)
つまり009とは、「漠然とした集団のあり方」に依存する弱さを持ってはいないが、同じではない個性を合わせることで問題を解決する強さを持ったチームであると見なせます。
さて、そのように肯定的に再評価しつつ子供の頃を思い出すと……。
1964年に生まれた009は、1964年生まれの私とは同い年ということになります。
同世代かつそういう好みのタイプの作品に好印象を持っていたとしても不思議ではありません。
ところが私が子供の頃に見たモノクロのアニメの009 (たぶん再放送)を思い出してみると、どうも妙なことになってきます。
好きだったのは、実は006 (張々湖)や007 (グレート・ブリテン)だったのですよね。009でも003でもなく、006や007です。
とすれば、なぜ私が無意識的に009という番号を選んだのかはまた謎に戻ります (笑)。